仁義なき戦いの時代に呉署でマル暴の刑事だった清田盛治さん
その、清田さんの著書「ある刑事の記録」から掘り下げるシリーズの第3回
今回は、山村組傘下の佐々木組舎弟の吉兼吾さん殺害事件と
同じく山村組傘下の美能組幹部、亀井貢さん殺害事件について
先ずは清田さんの著書「ある刑事の記録」から
はぶりのよさそうな暴力団が呉市の中通りを肩で風を切って歩いていた
通行人が恐喝されたり暴行されたという話は毎日あった
1952年(昭和27年)広署の巡査が射殺された
※ この事件も調べたんですが手掛かりがありませんでした
1954年(昭和29年)には下蒲刈の無人島で山村組の内部抗争で
敵対する組員の子分を銃の標的にしてなぶり殺しにした
「カービン殺人事件」もあり、一般市民は恐れおののいていた
私も後に抗争で射殺された美能組幹部の亀井貢にヤミ討ちされた
山村組若頭の佐々木哲彦とは何度もつかみ合いになった
その時そばにいた警官は誰一人として助けようとはしない・・・
この事件は映画「仁義なき戦い 広島死闘編」で描かれてるが実情は全然違う
映画では村上組の次男、村上正明さんがモデルになってる千葉真一さん演じる大友利勝が
岡組がモデルになってる村岡組のチンピラである川谷拓三さんが演じた
岩下光男を呉の無人島でリンチし射殺したと描かれている
しかし実際にはこの事件は、村上組も、岡組も関係ない
当時呉の山村組若頭の佐々木哲彦は組長をも凌ぐ力を付け飛ぶ鳥を落とす勢いだった
その傲慢とも言える佐々木さんを付け狙っていたのが同じ組傘下の
新居勝巳とその舎弟、今田泰麿、荒木忠良、原田勲らだった
彼らの資金源は覚せい剤の密売だった
佐々木さんは彼らを排除するため組内に「ヒロポン売買禁止」の命令を出す
美能幸三の舎弟・山手辰巳を射殺したとして、佐々木から山村組を破門された今田は
土岡組組長を佐々木哲彦に射殺された旧土岡組の河面清志、波谷守之と手を組んで
佐々木らを暗殺するべく呉中を探し回り呉市栄町にあった呉劇場で襲撃するが失敗
つまづいて転んだ佐々木の子分・吉兼悟を拉致し、瀬戸内海の無人島である
蒲刈の下黒島に連れ出しリンチを加えた後、殺害したがやがて逮捕されるというのが真相
その後、佐々木一派は新居勝巳を殺害、さらに佐々木の勢力を恐れて山村組長が
幹部に加えた野間範男をも殺害し、反佐々木派を一掃する
これが、清田さんが言う所の「カービン銃事件」という事だ
カービン銃事件には後日談があって、実行犯の今田泰麿は服役中に
自らが射殺した吉兼悟に遺児がいることを知り、その子どものために
獄中から長年にわたって仕送りを続けたそうです
清田刑事にヤミ討ちを仕掛けた亀井貢は山村組傘下、美能組幹部
この頃の広島ヤクザは関西の山口組と本多会という大組織の代理戦争に突入
昨日の友は今日の敵という感じで裏切りや寝返りが相次いだ
山村組内では、呉の顔役である海生逸一が画策した小原光男・美能幸三・山本健一の
兄弟盃を不服とし、美能幸三を破門とした
美能さんは以前から何度も煮え湯を飲まされていた山村との対決姿勢を鮮明にした
そんな中1963年(昭和38年)に美能組幹部の亀井貢が山村組系組員に射殺された
呉市堺川の映画館二劇の路上で、スタンドバー「クインビー」の経営者であり
美能組幹部の亀井貢さんが右胸を撃たれ血まみれになって倒れているのを通行人が通報
ただちに呉共済病院に運び込まれたが出血多量でまもなく死亡
付近の情報では亀井さんは3人の男と言い争い中に拳銃の発射音が2~3発聞こえ
現場から3人の男が中通り方向に逃げて行くのを目撃されている
しばらくして3人の男、元中敏之、上条千秋、中畑良樹が逮捕された
3人は山村組系、樋上組の幹部と組員だった
亀井貢の密葬後、美能さんは山口組の山本健一さんと兄弟盃を交わし
山村組への報復の体制を整えた
この事件が、関西の山口組、本多会を巻き込み代理戦争と言われた
第二次広島抗争の本当の意味での引き金になったという事だ
ちなみに亀井貢さんは青汁のCM「う~ん マズい!」でお馴染みの当時のピラニア軍団の
八名信夫さんが「仁義なき戦い 代理戦争」で河西清という役で演じておられます
広能組長(美能幸三)の壊れた拳銃と自分の拳銃を交換したが為
刺客に対応できず殺されるという設定でしたね
実際の仁義なき戦いでは多くの命が失われましたが
それは組員に限らず一般市民や警察官も例外ではないという事です
「ある刑事の記録」の著者である清田刑事も亀井貢に
ヤミ討ちされて亡くなられていた可能性もあったという事でしょう
清田刑事と、亀井貢さんに、どんな経緯や
やり取りがあったかという事はわかりませんがね~
ジャンジャン!!
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