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甘い予感

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思春期の頃、アン・ルイスが好きだった

アンさんのデビューは1971年(昭和46年)
同期には天地真理さんや南沙織さんらがいるが当時小学校低学年だった僕は
天地真理さんや南沙織さんは好きだったがアンさんの事はよく知らなかった

アンさんを認識したのは僕が小学校5年生だった1974年(昭和49年)に
リリースされた6枚目のシングル「グッド・バイ・マイ・ラブ」がヒットした時だった

確かにグッド・バイ・マイ・ラブは、まだ幼かった僕もいい曲だとは思ったが
当時の僕のアンさんのイメージはムード歌謡に近いものがあった

しかし僕が中学2年になった1977年(昭和52年)にリリースされた
13枚目のシングル「甘い予感」は僕の琴線に触れた

ムード歌謡のイメージは消え、ポップスのニュアンスを強く感じた




甘い予感 / アン・ルイス 1977
作詞・作曲 松任谷由実 編曲・松任谷正隆

Wow Wow Wow あなたの耳のむこう 
夕陽がきれいね 息をかけたら 消えそう
いまから 私達のハートは すべりはじめるの 甘い世界へ

夏がゆく頃に 恋もおわるって だれがきめた 悲しいこと 私 信じない
あなたの肩に 顔を埋めた 色あせる空が せつなかったの

Wow Wow Wow ふとつけたの カーラジオ 
流れてくるのは ビーチボーイズ

潮がひくように 愛も消えるって 誰が最初 いいだしたの 私 信じない
いまから 私たちのハートは すべりはじめるの 甘い世界へ
Wow Wow Wow 私たちのハートは すべりはじめるの 甘い世界へ


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いや~今聴いても素敵な曲だと思います
これから大人への階段を一つづつ上がって行く時代だった
あの青い中学生の頃の思い出が走馬灯のように蘇ります

僕は第一産業で買ったレコードのシングルジャケットの裏の歌詞を見て納得した

ー この曲って、ユーミンの曲なんじゃ・・・

しかしその当時ユーミンは「甘い予感」を歌ってはいなかった


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ユーミンは数々のミュージシャンに楽曲提供しセルフカヴァーもしていた
1975年(昭和50年)に、バンバンに提供し大ヒットした
「いちご白書をもう一度」のようにセルフカヴァーしてない曲も多かった

しかしアンさんに「甘い予感」を楽曲提供した2年後の1979年(昭和54年)に
リリースされたアルバム「OLIVE」の中でユーミンはセルフカヴァーした

その音源がこれだ!




甘い予感 / 松任谷由実 1979

1977年にアン・ルイスさんに楽曲提供した段階でクレジットを見ると
編曲がご主人の松任谷正隆さんになっている

セルフカヴァーされた「甘い予感」はアレンジを細野晴臣さんが手掛けてるが
テンポもスローだしレゲエっぽいアレンジで、まるで別の曲みたいだ

個人的には最初に聴いたポップス調のアン・ルイスバージョンに思い入れはあるが
ユーミンが歌う「甘い予感」も甲乙つけがたいほど素敵だと思う


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写真は1980年(昭和55年)当時のユーミンとアン・ルイス
その後、1985年(昭和60年)にアンさんは雑誌のインタビューで
ユーミンや、「甘い予感」の事をこんな風に語ってます

(それまで事務所の方針に従ってアイドルやってたが)そんな自分が
「こんな歌を歌いたい」とか、「こんなカッコウをしたい」って
思い始めたのが20歳ちょっと前、本当の自我の目覚めっていうのかナ

或る日友達が電話してきて新聞でユーミンが
「これからどういう人の曲を書きたいか」って質問に
「アン・ルイスと欧陽菲菲に書いてみたい」
って言ってたよって教えてくれたの

その頃ユーミンが売れ出した頃でネ、何か瞬間的に
「アッ、オモシロイナ」って思ったの

で、その時初めて事務所の人に
「ネェ、ユーミンがこう言ってたっていうから書いてもらおうよ」って
初めて仕事に対して自分の意見を言ったの、19歳の終わり頃だったかナ

それで本当にユーミンに頼んでくれて「甘い予感」っていう曲作ってもらったの
とってもフィフティーズしてる曲で聴いているうちに、ここはこうして
あそこはこんなコーラスでなんて色々と自分の欲が出て来たワ

自分の音楽に対して、しっかり意見を持ち始めたのも、この頃ネ・・・



ちなみに当時19歳だったアンさんに対しユーミンは21歳

どうです?先日記事にしたNGT48、23歳の山口真帆の
「もうここには私がアイドルを出来る居場所がなくなりました・・・」
って涙の発言が如何に幼い発想かがわかるでしょ?!(笑)


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そしてアン・ルイスはこの曲をきっかけにテイストを方向転換する
翌1978年(昭和53年)にリリースされた「女はそれを我慢できない」は
ロックテイストになり、アン・ルイスのイメージは強い女へと変貌した

「女はそれを我慢できない」からはグループサウンズ上がりの
加藤邦彦さんが楽曲を手掛けるようになった
こういう音楽をアンさんはやりたかったんでしょうね~

そして「恋のブギウギトレイン」や「リンダ」を手掛けた
山下達郎さんへとバトンタッチされていく事になる

ちなみにアンさんの「甘い予感」は山下達郎さんが
ビーチボーイズ風な素敵なコーラスをつけています

その後アンさんはバブル時代に全盛期を迎えるのだが
僕が思い入れがあるのは、バブル前辺りまでのアン・ルイスなんですよね

と、言う事で大人への扉を開いたアンさんのターニングポイントになった「甘い予感」
このユーミンが作った名曲がその後のアンさんのブレイクに繋がったのだった

ジャンジャン!!


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