ツインボーカルで7人編成のバンド「クリスタルキング」の「大都会」という曲が
大ヒットしたのは1979年(昭和54年)も押し迫った11月の事だった
クリスタルキングは1976年(昭和51年)にデビューしたそうだが
デビュー曲は売れず、3年後にリリースしたセカンドシングルが「大都会」だった
ちなみに「大都会」は東京ではなく博多を指すんだそうだ
1979年といえば僕は高校に入学した年であり11月の段階ではまだ学校に籍はあった
この頃僕はちょうど自動二輪の免許を取りに三和自動車学校に通ってた頃だった
夏休み明けには無免でホンダCB400FOURを手に入れ乗り回してはいたが
やはり免許は取っておいた方がいいと思ったんですよね
そんな頃、テレビのブラウン管から信じられないような
ハイトーンボイスの歌声が聴こえてきた
大都会 / クリスタルキング 1979
作詞・田中昌行 山下三智夫 友永ゆかり 作曲・山下三智夫 編曲・船山基紀
あー果てしない 夢を追い続け あーいつの日か 大空かけめぐる
裏切りの言葉に 故郷を離れ わずかな望みを 求め さすらう俺なのさ
見知らぬ街では 期待と不安が ひとつになって 過ぎゆく日々などわからない
見知らぬ街では 期待と不安が ひとつになって 過ぎゆく日々などわからない
交わす言葉も寒い この都会 これも運命と 生きてゆくのか
今日と違うはずの 明日へ Run Away Run Away 今 駆けてゆく
裏切りの街でも 俺の心に灯をともす わずかな愛があればいい
こんな俺でも いつか光をあびながら きっと笑える日が来るさ
今日と違うはずの 明日へ Run Away Run Away 今 駆けてゆく
裏切りの街でも 俺の心に灯をともす わずかな愛があればいい
こんな俺でも いつか光をあびながら きっと笑える日が来るさ
朝やけ静かに空を染めて 輝く陽をうけ 生きてゆくのさ
あふれる熱い心 とき放し Run Away Run Away 今 駆けてゆく
朝やけ静かに空を染めて 輝く陽をうけ 生きてゆくのさ
あふれる熱い心 とき放し Run Away Run Away 今 駆けてゆく
あー果てしない 夢を追い続け あーいつの日か 大空かけめぐる
あー果てしない 夢を追い続け あーいつの日か 大空かけめぐる
あふれる熱い心 とき放し Run Away Run Away 今 駆けてゆく
朝やけ静かに空を染めて 輝く陽をうけ 生きてゆくのさ
あふれる熱い心 とき放し Run Away Run Away 今 駆けてゆく
あー果てしない 夢を追い続け あーいつの日か 大空かけめぐる
あー果てしない 夢を追い続け あーいつの日か 大空かけめぐる
クリスタルキングはパンチパーマにサングラスがトレードマークの低音ボーカル
ムッシュ吉崎と、3オクターブの美声テナーハイトーンボイスが印象的な
田中昌行のツインボーカルによる7人編成のロックバンドだった
個人的にはあまり好みのルックスではなかったが(笑)
大都会は印象的で耳に残る楽曲だった
あの時代の冬は現代とは比べ物にならない程寒かった
当時の高校生には高価な革ジャンや革手袋など買えないし現代のように
高性能なヒートテックな衣類もなかったが、それでもバイクに乗っていた
夜、ツレの家にバイクで到着しイグニッションキーをOFFにしたら
「チン チン」と熱く熱を持ったエンジンが冷える音が聞こえたものだ
そのツレの家でテレビだったかレコードだったかは覚えてないが
「大都会」を聴いてた記憶が今でも脳裏に残ってる
年が明けて1980年(昭和55年)になった2月、僕は学校を退学になる
学校を辞めた次の日から僕は働きに出たが仕事は長くは続かない
春になった頃、僕は先輩二人に誘われて五日市で住み込みで働くようになった
仕事はドカチン、住み込みの宿はタコ部屋だった
週末には先輩のローレルで呉に帰った
右手にキラキラと輝く瀬戸内海を見ながら国道31号線を走り呉に帰る
ローレルに搭載されてたカーコンポ、パイオニアのロンサムカーボーイの
箱型スピーカーTSX9からはクリキンの新曲が流れていた
蜃気楼 / クリスタルキング 1980
作詞・天野滋 作曲・山下三智夫 編曲・川上了
真夏の海は Forever おまえがそばにいて
突き刺す光の矢を 身体で受けとめる
命よりも 未来よりも 可憐な唇が 欲しいのさ
あふれだす 情熱を おまえだけに注ごう
あふれだす 情熱を おまえだけに注ごう
輝く風の中で 笑顔が素敵な 真夏の女に 変わるだろう
こぼれる砂は Every time 都会を忘れさせ
心の傷跡さえ 漂う陽炎に
こぼれる砂は Every time 都会を忘れさせ
心の傷跡さえ 漂う陽炎に
爪を立てた 愛の印 言葉も欲しくない 熱い肌
はじけ合う 情熱を おまえだけに求めて
はじけ合う 情熱を おまえだけに求めて
輝く風の中で 笑顔が素敵な 真夏の女に 変わるだろう
あふれだす 情熱を おまえだけに注ごう
輝く風の中で 笑顔が素敵な 真夏の女に 変わるだろう
あふれだす 情熱を おまえだけに注ごう
輝く風の中で 笑顔が素敵な 真夏の女に 変わるだろう
クリキンのサードシングル「蜃気楼」は資生堂のキャンペーンソングにも使われヒットした
しかし僕が思い入れがあるクリキンの楽曲はこの2曲のみ
その後クリキンは「パッション レディー」や、北斗の拳の主題歌「愛をとりもどせ!」などが
ヒットしたが個人的には知ってはいるが思い入れがない
1986年(昭和61年)にはツインボーカの二人が不仲になり田中昌行が脱退
田中氏は故郷の福岡に帰ってホストクラブで働く傍ら歌っていたそうだ
そして草野球の最中にボールが喉に当たって、あのハイトーンボイスが出なくなったそうだ
今でもムッシュ吉崎氏と田中昌行氏両者のミゾは修復不可能なほど深刻らしい
まあそんな事は個人的にはどうでもいいが(笑)今でもクリキンの「大都会」を聴くと
あの寒かった冬の夜にバイクに乗ってた映像が脳裏に浮かぶんですよね
ジャンジャン!!
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