花見橋通りと中通り商店街の交わる角の現「和民」の場所は
昭和の時代には新藤家具という家具屋さんだった
その後、新藤家具は閉店しファーストフード店「ロッテリア」になった
ロッテリアが藤沢ビルに移転すると今度は「カメラのキタムラ」になり
キタムラが閉店し、現在の和民がオープンした
「町は生き物」だから時代と共に変化し景色を変える
ロッテリアがあった昭和60年代初頭、ロッテリアの横には
先日記事にした「パチンコのJUMBO」があった
そしてJUMBOの横にあったのがブティック「SUIVI」だった
時代はバブルが始まった頃、バブル景気に乗って中通りを中心に
洋服のメーカーフランチャイズやセレクトショップが乱立し始めた
SUIVIも、そんな店の一つだった
SUIVIの2階にあったのが、喫茶と子供服のTAIYOだった
もともとタイヨーは花見橋通りの老舗の一つで純粋な喫茶店であり
ひらがな表記の「たいよう」として1階で営業していた
それが2階に移転し夜はアルコール類も扱うようになった
子供服を扱っていたのはルーツがあるのだが話が長くなるからやめておく(笑)
写真は昭和63年当時のTAIYOのオーナー
たいようの創業は昭和20年代という花見橋通りの老舗
最初はアイスキャンディー屋としてオープンしたそうだが、これが大当たり
コーヒーが70銭だった当時、アイスキャンディーは15銭だったそうだ
アイスキャンディー旋風は凄まじく、お客の列がたいようから
本通りに抜けるくらいまで並んでいたそうだ
時代でしょうな~ てか、「銭」という単位はさすがの僕も知りません(笑)
TAIYOが2階に移転した頃、TAIYOの奥で中井千恵先生の
エアロビ・ダンススタジオが始まった、1985年(昭和60年)の事だった
僕は社交ダンスの時代は知りませんが(笑)それまでダンスと言えばディスコであり
酒とタバコの臭いの蒸し返す暗い室内にミラーボールという
どちらかと言えば不健全な環境下で楽しむというのが主流だった
それが1983年(昭和58年)公開の映画「フラッシュダンス」の影響なのか
健全なダンスブームが起きてエアロビクスやジャズダンスが大人気になった
エアロビやジャズダンスは特に若い女性に支持され流行りの
ハイレグの派手なレオタードを着て汗を流す姿をよく見かけた
どこで見かけてたのかって?
当時ミヤニシがあった三和ストアーの3階で「今井バレエ」ってのをやってて
暇を見てはちょくちょく目の保養に行ってたからだ(笑)
あれから約35年経った現在、SUIVIも、喫茶TAIYOもなくなったが
未だに中井千恵ダンススクールは続いているようだ
中井千恵先生って、いったいお幾つでスクールを始めて現在お幾つなんだろう?
てか、今でも現役なのか? もしそうなら凄いと思いますよ
ジャンジャン!!
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