僕が生まれて初めてアイドルのファンになったのは小学校3年生の時の
天地真理さんだったが、真理ちゃんを性の対象と見た事はない
まあそれは僕がまだ幼過ぎたというのが理由なのかも知れませんがね(笑)
真理ちゃんの次にファンになったのが小学校4年生の時にデビューした
花の中3トリオの一人だった桜田淳子さんだった
しかしその頃もまだ性には目覚めておらず純粋に
アイドルとしての桜田淳子のファンだったのだ
もちろんそれは花の中3トリオの一人だった山口百恵さんも然り
森昌子さんは失礼ながら眼中にもなかった(笑)
しかし、小学校5年生の時に見た一冊の雑誌で僕は目覚め始める事になる
今は便利な世の中でSNSで調べてみるとその雑誌は1974年(昭和49年)に
発行された芸能雑誌「明星」5月号だった事がわかった
当時5年生だった僕は実家の隣に住んでた高校へは行かず働いていた
ハイティーンのお兄さんに懇意にしてもらっててレコードを録音してもらったり
彼の趣味だった蝶の採集の手ほどきを受けていた
お兄さんは毎月「平凡」「明星」を買っていて僕はいつも借りていた
その明星に掲載されていた、篠山紀信撮影の桜田淳子&山口百恵さんの
水着の写真を見て自分の中で何かが変わり始めた事を感じたのだ
その写真は約45年経った今でもおぼろげに覚えていた
いや~ 便利な世の中になりましたな~
遠い昔の記憶の中だけにあった写真が瞬時に見つかるんですもん(笑)
そう!まさしくこの写真に間違いない
今見たら「スクール水着?」って思いますが(笑)当時はそこまでは気付かなかった
僕はロリコンでもないし、現代からしたらイヤらしくもない、ただのアイドルの水着写真だ
しかしアナログだった昭和のあの時代の田舎の小学生だった僕にはインパクトがあった
おぼろげではあったが、45年前の雑誌の写真を覚えてるんだからそうだと思う
当時彼女たちは15~16歳
ブラウン管に映し出される彼女たちの姿からギャップがあったんだろうと思う
黄色いリボン / 桜田淳子 1974
作詞・阿久悠 作曲・森田公一
風になびく黄色いリボン 丘を駆ける麦わら帽子
きっとあなた窓辺にもたれ こんな私見ていてくれる
急いで行きたいの あなたの胸にとびこみたいのよ
このリボン見えるでしょう ラブサインなの待っててね
水にうつる黄色いリボン ふたりボート湖の上
向かいあって顔見あわせて 恋の夢にゆられているの
このまま行きたいの 知らない島へ流されたいのよ
このリボン素敵でしょう ラブサインなの感じてね
大きな木の下で あなたに急に口づけされたの
このリボン忘れないで ラブサインなの信じてね
ひと夏の経験 / 山口百恵 1974
作詞・千家和也 作曲・都倉俊一
あなたに女の子のいちばん 大切なものをあげるわ
小さな胸の奥にしまた 大切なものをあげるわ
愛する人に捧げるため 守ってきたのよ
汚れてもいい 泣いてもいい 愛は尊いわー
誰でも一度だけ経験するのよ 誘惑の甘い罠
あなたに女の子のいちばん 大切なものをあげるわ
綺麗な泪色に輝く 大切なものをあげるわ
愛する人が喜ぶなら それで倖せよ
こわれてもいい 捨ててもいい 愛は尊いわー
誰でも一度だけ経験するのよ 誘惑の甘い罠
あれから45年経った現在、彼女たちも還暦を過ぎた
嘗てのアイドルが辿った人生も三者三様だ
芸能界に復帰しない山口百恵さんに復帰したいけど出来ない桜田淳子さん
離婚を経験して芸能界復帰したけど二度目の引退をする森昌子さん
誰の人生が一番幸せだったのかは僕が知る由もないが
彼女たちは間違いなく僕の大人への扉を開いてくれた
昭和・・・何度も言いますがアナログだったけどいい時代だったと思いますね!
ジャンジャン!!
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