さて、久々の「CAROOLS 70’」ですが今回はCAROL編としては最終回になる
1975年(昭和50年)5月15日に発売となったキャロルのラストアルバム
「燃えつきるーキャロル・ラスト・ライブ」について掘り下げてみたいと思います
燃えつきるーキャロル・ラスト・ライブ 1975・5・15 フィリップスレコード
アルバム(1)
<SIDE-A>
1、ファンキー・モンキー・ベイビー 2、憎いあの娘 3、グッド・オールド・ロックン・ロール
4、メンフィス・テネシー 5、涙のテディーボーイ 6、やりきれない気持ち
7、変わり得ぬ愛 8、ビブロス・ピープル
<SIDE-B>
1、ユーヴ・リアリー・ガッタ・ホールド・オン・ミー 2、愛の叫び
3、ヘイ・ママ・ロックン・ロール 4、ヘイ・タクシー
アルバム(2)
<SIDE-A>
1、夏の終わり 2、ゲスト紹介 3、ジョニー・B・グッド
4、ズッコケ娘~スロー・ダウン 5、ルイジアンナ
<SIDE-B>
1、エニタイム・ウーマン 2、ファンキー・モンキー・ベイビー 3、ラスト・チャンス
1975年(昭和50年)4月13日
雨の降りしきる東京・日比谷野外音楽堂はキャロルの最後のステージを見ようと
集まった7千人の若者たちで埋め尽くされていた
炸裂するサウンドと観客の興奮が一体になった熱狂の中で
キャロルの最後の熱演が展開された
ちなみにライブ途中のステージ上でゲストが紹介された
大野真澄(ガロ)、なぎら健壱、武田鉄矢 、デイブ平尾、内田裕也
舘ひろし・岩城滉一(クールス)
アンコール直後に放った爆竹の火が舞台を形作っていた発泡スチロールに
燃え移り炎上するというハプニングでキャロル・ラストコンサートは終了
天井まで燃え上がった炎と共にキャロルのロックンロールに賭けた
青春も燃え尽きたのであった・・・
「燃えつきるーキャロル・ラスト・ライブ!1975・4・13」というアルバムは
タイトル通り、1975年4月13日に日比谷野外音楽堂で行われた
キャロルの解散コンサートをライブ・レコーディングした2枚組のアルバムだ
ラストライブから、わずか1ケ月でリリースされたのは驚きだ
オープニングの「ファンキーモンキーベイビー」からエンディングの「ラスト・チャンス」の演奏
火事騒ぎを起こすきっかけとなった爆竹の音、燃え上がった炎に吹きかけられる消火器の音
思わぬハプニングに盛り上がる観客の嬌声、そして消防車のサイレンの音
雨の中を集まった約7千人のファンたちの嬌声、怒号と共にキャロル最後の
パフォーマンスの一部始終が収められた音のドキュメンタリーという内容だ
キャロルラスト・ライブは1975年7月12日にTBSテレビ「特番ぎんざNOW!」という
番組で一時間枠が組まれ「グッバイ・キャロル」というタイトルで放送された
その後何度かパターンを変えて再放送されている
そしてキャロル解散から9年後の1984年3月19日にビデオとして発売された
現在ではDVDも発売されているがオリジナル映像からカットされてる部分もある
キャロル・ラスト・ライブの模様は現在オフィシャルで観る事の出来る唯一のライブ映像作品だ
雨の中ステージ火災を起こした日比谷野音での解散コンサートを収録した
演奏シーンを中心としたコンサート・ドキュメントである
熱心なキャロルファンはたぶん擦り切れるほど観てると思うので今回は演奏シーンの
映像はアップしないが、メンバーのインタビューも織り交ぜての構成は貴重である
デビュー時からのほぼ完璧と言えるライブ・パフォーマンスは健在で
やはり演奏シーンはどの曲も抜群の出来と言える
こちらの映像にはクールスの舘ひろしさんがインタビューとして登場してるが
現在販売されているDVDには舘さんの映像が全てカットされている
映像の内容的には、アルバム「燃えつきるーキャロル・ラスト・ライブ!1975・4・13」と
同じコンサートを収録した音源であるが選曲と曲順が異なっている
アルバムレコードには全20曲が収録されておりレコードにあって
映像に収録されていない音源は
「変わり得ぬ愛」「ビブロス・ピープル」「ユーヴ・リアリー・ガッタ・ホールド・オン・ミー」
「ジョニー・B・グッド」「ラスト・チャンス」の5曲である
このキャロルのラストコンサートで特筆されるのが、シリーズ「CAROOLS 70’」の
もう一つの雄であるCOOLSが初めて動く映像として登場した事であろう
キャロルと親交があった、舘ひろしさん、岩城滉一さん達で結成された
バイクチーム・クールスがコンサートの親衛隊を務めたのだ
更には舘ひろしさんはインタビュアとしてキャロルのメンバーやファンにインタビューしているし
クールスのメンバーたちからの、はなむけのコメントも収録されている
ちなみにキャロルのメンバーが乗る白いビュウイックのコンバーチブルを運転しているのは
クールスのピッピさん事、水口晴幸氏だ
クールスはコンサート会場での警備役も行っている
クールスは興奮し殺気立って津波のようにステージに押し寄せて来る
観客を食い止めてキャロルの演奏スペースを確保した
しかし多少の小競り合いはあったものの観客の大きなトラブルはなかったそうだ
その時の事をクールスのムラさんはこう語っている
キャロルはファンの年齢が若くて高校生くらいが多かったじゃないですか
我々は24とか25ぐらいなのでガードといっても実際には
大してヤバイ事にはならなかったと思います
威圧感あるじゃないですか、こっちは
永ちゃんはローリング・ストーンズとヘルス・エンジェルスみたいなのが
やりたかったんじゃないですかね・・・
ジョニーの著書によると、キャロル解散前は、永ちゃん対メンバー3人というような
構図が出来てしまっていてギクシャクした雰囲気があったそうだ
しかし、解散コンサートで全国を回っている頃には
そうしたわだかまりも消え和気あいあいと言える雰囲気になっていたそうだ
バンドとしての演奏も充実したものになり、1975・4・13の野音での
ラスト・ライブの時にキャロルの演奏は頂点に達したそうだ
そういう意味ではキャロルは頂点に上り詰めて解散したという事になる
こちらの写真は当初「燃えつきるーキャロル・ラスト・ライブ!1975・4・13」の
アルバムジャケットに使用される事になっていたが何故かボツになった物だ
キャロル解散後に発売されたキャロルの自伝書「暴力青春」は
こんな言葉で締めくくられている
オレたちの青春は笑いの底に悲しみがあり気負いの裏に屈辱があった
なれあいを拒否し、傷つく事を自ら背負いたかった
これですべては終わりだが、これからすべてが始まるのさ
ひとつの青春を燃焼しきった焔を残してキャロルは去っていった
それはキャロルにふさわしい最後だったのかもしれない
キャロルはいつも暴力的で破壊的なグループとしてマスコミに取り上げられていたからだ
だが、キャロルのステージが「情念の暴走」だったことを
どれだけの人々が知っていただろうか
そしてまた彼らの若者らしい、いちずさ、やさしさ、屈辱、涙などを・・・
こちらは、キャロルのラストコンサートの楽屋風景の一コマだ
高笑いをする永ちゃんの両サイドに舘さん、岩城さんの姿が確認できる
クールスの現リーダーである秀光さんの著書「ハングリー☆ゴッド」によると
この後楽屋には誰もいなくなり気が付くと永ちゃんと秀光さんだけが残ってたようだ
「ヒデミッちゃん、二次会行こうか」
永ちゃんがそう言うと二人で1本の傘をさして打ち上げ会場に向かったそうだ
その会場には楽器が用意されていてキャロルとクールスのメンバーが
セッションして演奏し舘さんは歌を披露したそうだ
そこに居合わせた音楽業界の人にクールスは目を付けられたそうで
それがR&RバンドCOOLSのデビューに繋がるのだ
打ち上げ会場から一人、また一人とまるで櫛の歯が欠けるように去っていく姿を
横目で見送りながら最後まで残ったのはジョニー大倉さんだったそうだ
クールスのジェームス藤木さんが、やけにセンチメンタルなメロディーを
弾き語っていた光景が印象的だったそうだ
こうしてキャロルは解散して4人のメンバーはそれぞれの道を歩き始めたのでした
ジャンジャン!!