先日個人的に大変興味深い写真集を入手した
その「70’ HARAJUKU」と題された写真集は今や日本の若者文化の聖地とも言える
東京原宿の1970年代の原風景や そこで生活していた人々の写真が多数収められている
プレインズのブログをいつもご覧になって下さってる方にはもうお馴染みですが
僕の思春期が始まったのは1970年代の半ば辺りの時代だった
広島県の呉市に生まれた僕は子供時代から結婚した1980年代後半まで
広の長浜という海沿いの田舎の云わば村みたいな所で育った
中学生になり思春期を迎え不良少年化した僕は田舎育ちという事に劣等感を覚え都会に憧れた
たった2km離れた広の商店街でも”街”を感じていたし10km離れた呉の繁華街である
中通り商店街なんて毎日”祭”をやってるくらいのイメージだった
広島市の繁華街に出るなんて今の感覚で言うと海外に出るくらいのイメージだったし
増して東京なんて月の世界くらいのイメージだった 笑!
1970代以前の東京と言えば銀座や新宿辺りが時代の最先端の街だったのだろうが
僕が東京に物心付いた1970年代後半頃は若者の街と言えば原宿だった
当時はネットなんてないし”原宿”って街は雑誌やテレビの中でしか見た事なかった
実は僕は美容学校を卒業する時、本当は東京に出たいって思ってた
当時の東京原宿は竹の子族に変わってリーゼントをキメたローラー族が
歩行者天国になった日曜の表参道でロックンロールのナンバーで踊ってた時代だ
上京が実現出来なかった理由は当時僕は保護観察処分中だったからだ 笑!
当時の僕の精神状態を考慮した保護司さんも親も東京行きを認めてくれなかった
人生に「たら」「れば」はないが、あの時もし東京に出ていたら
僕の人生は今とはまったく違った人生になっていたかもしれない
しかし僕も一歳取って思うに決して良い方向には行っていなかっただろうと想像する
”憧れ”で終わった事が自分の人生には良かったんじゃないかと思うんですよね
そんな憧れだった東京原宿の70’の世界がこの写真集には詰まっているんですよね
以前僕も何度か記事にした事があるが北海道から上京して当時の東京の若者文化に
大きく貢献したファッションブランド「クリームソーダ」の創設者の山崎眞行さん
クリームソーダ以前には「怪人二十面相」や「キングコング」「シンガポールナイト」など
当時の最先端のお店を次々にオープンさせた原宿のレジェンドだ
永ちゃんを始めキャロルのメンバーやクールスとも深く関わってた方だ
数年前にお亡くなりになりましたがね~・・・
山崎さんが営んでいたお店の一つ「キングコング」だそうだ
左の写真は当時のカリスマスタイリストだったヤッコさん事、高橋靖子さん
山崎さんとヤッコさんは姉弟のように仲良しだったそうだ
右のティアドロップのサングラスをかけた二人
有名人ではないみたいだが当時呉でもこんな大人をよく見かけましたね~
左の写真は同じく山崎さんのお店「怪人二十面相」のスタッフ?だった人達だそうです
楽器を抱えてるからロックンロールバンドでもやってたんでしょうな~
後のブラックキャッツのルーツかもしれませんね 笑!
右の写真も山崎さんのお店「シンガポールナイト」だそうです
写真に写ってる人は西のファニカン、東のキャロルと言われた
当時ファニーカンパニーに在籍してた横井康和さんだそうです
日本におけるネイティブアメリカンアクセサリ・レザークラフトの ショップ及びブランドのレジェンド
goro's(ゴローズ)のオーナーであったゴローさん事、高橋吾郎さん
原宿の伝説、インディアンジュエリーの巨匠であるゴローさんは超有名人でしたね~
僕も何度かゴローズにも来店した事もあるしシルバーアクセサリー等も購入しましたね
そんなゴローさんも2013年にお亡くなりになったって聞きましたね~・・・
当時原宿の玄関口と言われた神宮前交差点のセントラルパークにあったカフェ「レオン」
多くのアーティストの卵やモデルやデザイナー等ファッション人間の溜まり場になってた
そのレオンの前で写真に納まってるのは若き日の研ナオコさん
レオンの店内と前出のスタイリスト高橋靖子さん
クールスやキャロル関連の本を読むと必ず名前が出てくるカフェ「レオン」
1975・4・13のキャロルの解散コンサートの時の映像の撮影時に白いオープンカー”ビューイック”
に乗るキャロルのメンバーをバイクで護衛するクールスが出発前に集まっていたのもレオンだった
この店からあの伝説の1975・4・13が始まったんですよね
と、言う事で誌面の関係で今日はこれまで!
続きはまた明日!ジャンジャン!!