僕がバイクに興味を持ち始めた1970年代の中頃においてバイク雑誌と言えば
「オートバイ」「モーターサイクリスト」くらいしか記憶にないが
昨今ではジャンル別で多種多様なバイク雑誌が存在する
そんな中に「DOURAKU」という雑誌が存在するのだが僕は知らなかった 笑!
しかし道楽10月号は「熱かったあの夏を駆けぬけた青春物語’70&’80JAPAN」と
興味をそそるタイトルが付けられ、クールス結成前のマカオ時代の
舘ひろし氏がW1Sに跨ってる例の写真が表紙になってる
これは是非読まなければと思い(笑)即購入
僕の個人的な史観では、本当の意味でバイクが若者の”道具”になったのは
1970年代の初頭から中頃にかけての時代だと思う
もちろんバイクは、それ以前にも存在し「カミナリ族」や「レーサー族」などと
言われてた若者もいたが、1960年代までは高価なバイクに乗れる若者は
余程の金持ちか、熱心なバイクマニアくらいだったに違いない
その頃の若者の多くはバイクに乗るより学生闘争に明け暮れていたのだ
1970年代に入ると学生闘争も終焉を迎えエネルギーのやり場を失った若者は
社会に反抗し、背をむける行為としてバイクに乗り、薬物に手を染めるようになった
”シラケ時代”と言われ、ヒッピー文化が太平洋を渡り日本にやって来た時代だった
時を同じくしてホンダが当時としては規格外の4気筒750ccのCB750Kをリリースし
カワサキが世界最速を目指した2サイクルトリプルのマッハをリリースした
それらの中古が出回り始めた1970年代初頭に「暴走族」という言葉が生まれた
そして1973年にカワサキがZⅡ750RSをリリースし暴走族は勢いを増した
暴走族たちのナナハンは、ハンドルが絞られ、風防や集合管、社旗棒が取り付けられた
これは、当時最も速く、粋だった東京の共同通信社の車両の真似に端を発していた
暴走族は深夜に集団で暴走行為を繰り返し、対立グループ同士の抗争事件が多発した
バイクでの死亡事故が急激に多発し始めたのも、この頃だった
そんな時代に、東京原宿に異色な黒い集団が現れた
彼らは黒髪をポマードで練りつけたリーゼントヘアーにティアドロップの黒いサングラスをかけ
黒い革ジャンに、細身のブラックジーンズを身に纏い、黒いビックマシーンを操った
その全身黒づくめの集団が後にロックンロールバンドを結成するバイクチームCOOLSだった
そのクールスのリーダーが、舘ひろし氏であり、サブリーダーが、岩城滉一氏だったのだ
クールスは原宿を活動拠点にしており、表参道沿いの雑居ビルの3階にあった
ブティック「グラス」や、セントラルアパートの一角にあった喫茶「レオン」にたむろしていた
それらの店の前ではいつもクールスのビックマシーンの黒いタンクが
強烈な日差しを反射させて凶暴な輝きを照り返していた
当時大学生だった、後のロックンロールバンドCOOLSのベーシストになる喜市さんは
レオンで、ジェームスさんに声を掛けられクールスのメンバーになった
DOURAKU誌面には、その辺りの事が記述してあるが、その内容は喜市さんの著書
「ストレンジブルー」や「実話BUNKA超タブー」での単独インタビューの内容と
ほぼ同じ事が書かれてあるとあって、個人的には目新しさはなかった 笑!
あの娘はステディー・ガール / クールス 1976
作詞・たちひろし 作曲・ジョニー大倉
Baby踊ろよ Rockin Roll リズムに 合わせて dance with me いかした あの娘は sexy girl
波間に ゆれる surfin-board 白いビキニで swim with me 真夏の あの娘は surfer-girl
波間に ゆれる surfin-board 白いビキニで swim with me 真夏の あの娘は surfer-girl
パーティ 終って go with me 二人だけの 海辺 かがやく 星さえ 今夜は かくれてる
夜風にゆれるよ Pony tail 左の指には College Ring みつめる あの娘は steady girl
夜風にゆれるよ Pony tail 左の指には College Ring みつめる あの娘は steady girl
パーティ 終って go with me 二人だけの 海辺 かがやく 星さえ 今夜は かくれてる
夜風にゆれるよ Pony tail 左の指には College Ring みつめる あの娘は steady girl
そんなクールスに憧れて結成されたのが遠藤夏樹さんが率いたバット・エンジェルスだった
遠藤さんは当時、ルート20という暴走族のリーダーであり、クールスの噂を聞いて
原宿にクールスを潰しに行ったが、クールスの洗練されたカッコよさに魅せられ
ルート20を引退し、バイクチーム、バット・エンジェルスを結成したんだそうだ
DOURAKUには、その辺りの記述もあるのだが、これらの事も遠藤さんの著書
「原宿バット・エンジェルス」に詳しく書いてあるので個人的には目新しさはなかった 笑!
と、いう事だが、ここで一つ興味深いエピソードをご紹介しよう
1979年にクールスのボーカルの一人だったピッピさんが脱退し
1981年にベーシストの喜市さんが脱退したクールスは、その後釜として
現CKBの横山剣さんと、萩野さんが加入した事はクールスファンなら周知のとおりだが
何と、ベーシストとして加入した萩野さんは、元バット・エンジェルスだったのだ
この話は先日クールスのフランクさんと話をした時に教えていただいたエピソードで
横山剣さんと話した時も、剣さんも言われてたから間違いない
萩野さんは現在、CKBのプロデューサー?マネージャー?として裏方に徹しておられるが
今の萩野さんからは全然イメージ出来ないですね~ 笑!
と、いう事だがDOURAKU10月号が気になった方は是非購入して読んでみて下さいね
てか、バット・エンジェルス結成のエピソードは、ちょっと前に放送された
「にけつッ!」って番組で千原ジュニアさんが話してましたね~
と、いう事で放送を見逃した方は是非↓ご覧になって見て下さいね! ジャンジャン!!
にけつッ!! 舘ひろし衝撃クールス伝説