1989年(昭和64年/平成元年) 土鈴の蛇
さて、僕が小学生の時に収集してた記念切手に端を発した年賀切手シリーズも
1960年から1989年までと計29回に渡りお届けしましたが今度こそ(笑)本当に最終回になります
このシリーズを展開するにあたってSNSは元より僕の手元にある「60’Sグッズマニュアル」
「70’Sグッズマニュアル」「80’Sグッズマニュアル」などの書物が大いに参考になりました
僕は1963年(昭和38年)の生まれですが生まれる前や物心付く前の事は大変勉強にもなりましたし
幼少期や少年期、思春期の頃の事はとても懐かしく、青年期の大人になってからの事は
昔と呼ぶには近すぎて、ついこの間のような気がしました
と、言う事ですが最終回の今日は激動の昭和期の終焉になった
たったの1週間しかなかった1989年(昭和64年./平成元年)巳年を振り返ってみたいと思います
ここからは1988年にリリースされ同年秋の資生堂キャンペーンソングに抜擢され
1989年初頭頃に僕が良く聴いた想い出のある今井美樹さんの
「彼女とTIP ON DUO」を聴きながらご覧ください
彼女とTIP ON DUO/今井美樹 1988
1989年(昭和64年)1月7日、ついにその時が来た
1987年春頃から体調を壊され1988年には慢性膵臓炎で容態が悪化と幾度も報道されていた
昭和天皇陛下だが年が明けた1月7日早朝、ついに御崩御、宝算87歳で在らされた
昭和天皇陛下は1926年(大正15年)12月に大正天皇御崩御を受け践祚して
第124代天皇となり元号が「昭和」に改められた
天皇在位64年は神代を除く歴代の天皇で最長且つ長寿で在らされた
日本国民は即座に喪に服し日本中が自粛ムードに包まれた
在京民放5社の申し合わせで「天皇崩御の記者会見」から各社とも放送を自粛で2日間CM抜き
各局そろって中止するのはテレビ放送開始後初めての措置で
歌番組、ドラマ、クイズ番組などはすべて放送を自粛、レンタルビデオ店は大繁盛だった
呉でも営業を自粛する店もあったが営業してる店でも表の街灯を消して営業してた
僕は店をオープンして間もなかった事もあり営業自粛は出来なかったが
表看板の電気を消して営業しましたね
1月7日、昭和天皇崩御を受け明仁皇太子殿下が歴代天皇2位の年長となる
55歳で践祚し第125代天皇となり翌日1月8日に元号が「平成」と改められた
後に総理大臣になる当時の官房長官だった小渕恵三氏が記者会見で
「新しい元号は”平成”であります」と新元号を公表した
このシーンは今でもよく覚えている
当然の事だが僕には初めての経験で即座にピンとは来なかったが
あれから28年も経つとすっかり違和感もなくなった
と、言う事だが先日平成天皇陛下は生前退位を匂わす発言をされた
今の段階で安倍総理は生前退位に関する発言を濁しているようだがどうなるんだろう?
日本の象徴で在らせられる天皇陛下の御崩御があった約ひと月後の2月初旬
日本漫画界の神様と言われた漫画家の手塚治虫さんも逝かれました
大阪出身の手塚先生は大学在学中の1940年代半ばから漫画を描き始め
1950年には「鉄腕アトム」「ジャングル大帝レオ」「リボンの騎士」の連載を開始
世の子供達に漫画という娯楽を広め日本文化の発展に大いに功績を残されました
氏の人生は決して平坦ではなかった事は有名ですが、藤子不二雄、石ノ森章太郎
赤塚不二夫、横山光輝・・・など、多くの漫画家が氏の影響を受け大成しました
氏の作品を上げればキリがありませんが個人的には前出の3作は
幼少期の頃テレビアニメとして見ていたと言う事で思い出深いですし
最も印象に残ってる作品はと聞かれればブラックジャックでしょうかね~
更には同年6月、昭和歌謡の女王と言われた美空ひばりさんも逝かれました
12歳でデビューして「天才少女歌手」と謳われて以後歌謡曲・映画・舞台などで大活躍
女性としては日本史上初の国民栄誉賞をも受賞されました
僕は世代的に若い頃のひばりさんはリアルタイムでは知りませんが
物心付いてからブラウン管に映し出されるひばりさんを見て
子供心にも他の歌手とは次元の違うオーラは感じてましたね~
享年52歳と言う事ですが先日も昭和歌謡を振り返る的な番組にVTRが出てましたが
53歳でお亡くなりになった石原裕次郎さん同様凄い貫録だと感じました
まあ時代性と言う事もあるんでしょうが現在52歳の僕と
比べる事自体おこがましいんですが次元が違い過ぎますね 笑!
昭和天皇陛下の御崩御を始め昭和の巨星が相次いで亡くなられた1989年ですが
平成という新時代にふさわしい、おめでたい事もありました
予てから恋愛報道があった平成天皇陛下第2子で在らせられる礼宮様と
学習院大学在学中に出会われた一般女性、川嶋紀子さんの婚約が発表された
当初紀子さんは家柄の格差から宮家との結婚は相応しくないとの報道も出てましたが
礼宮様は結婚できなければ皇室から離籍するとまで言われた
その心意気に世論は拍手を送り紀子さんの可愛らしい笑顔に国民は癒された
週刊誌は紀子さん一色に染まり紀子さんブームになった感もあった
僕もそのブームに影響された紀子さんファンになった 笑!
平成の訪れと共に今では当たり前になった消費税が同年4月に日本で初めて導入された
当初は3%だったが、その後5%になり現在は8%となり近い将来10%になる事が決まっている
当時僕は若く無知だった事もあり消費税導入は損をするようなイメージがあった
まあ今では国と言う組織を運営するために税は必要不可欠だという事は理解できるが
昨今の政治家の不可解な政務活動費や東京市場移転問題、東京オリンピック問題などを
報道で聞く度に本当に税金が正しく使われているのかどうかと疑問に感じる
どうも国や地方の一部のトップの人間だけが甘い汁を吸ってるようなイメージがある
何が真実なのかは僕にはよく分からないが小池新都知事には真実を暴き
バンバン悪人どもを炙り出し追いつめて頂きたいと思いますね
てか、そうなるとまたお決まりの「窮鼠猫を噛む」になって振出しに戻るんでしょうがね~ 笑!
世界的なニュースを一つ
1989年11月9日、東ドイツ政府が 東ドイツ市民に対して旅行許可書発行の大幅な
規制緩和を事実上の旅行自由化と 受け取れる表現で発表したことをきっかけに
ベルリンの壁の国境ゲートが開放され東西ベルリン市民によって実際に壁の破壊が開始された
世に言う「ベルリンの影崩壊」であり、この事が翌年1990年の
東西ドイツ統一への大きな足掛かりになった
この世界的なニュースは連日ニュースで報道されてましたね~
ベルリンの壁は第2次世界大戦後の東西両陣営の対立を背景に1961年当時の
東ドイツ政府によってベルリンの西側部分を旧東ドイツから切り離すように築かれた壁だった
これでドイツはある意味本当の第2次世界大戦の終戦を迎えたのだった
昭和が終わりを告げようとしていた1988年大晦日、ラジオから日本中を感動の渦に巻き込んだ
栗良平原作の「一杯のかけそば」の朗読放送が流れた
その話は実話を元に書かれた作品として1989年には大ブームになった
涙なくしては聞けない話「一杯のかけそば」は各著名人がテレビで朗読したり映画化もされた
父を亡くし貧乏な母子が金がないからと3人で一人前の年越しそばを注文し
気の毒に思った店の主人が1・5人前の麺をそっと入れた事に端を発し毎年の恒例になった
しかしある年から母子は来なくなってしまった
それでも主人夫婦は母子を待ち続け十数年後の大晦日に
母とすっかり大きくなった息子2人が再び店に現れる
子供たちは就職してすっかり立派な大人となり母子3人でかけそばを3杯頼んだ・・・
と、言うような内容だったが誰が言い始めたのか実話としてはつじつまが合わないって事になり
更には作者栗良平の学歴詐称や詐欺事件がどんどん明るみに出て
終いには胡散臭い作り話と言われブームは終わった 笑!
陛下御崩御の悲しい出来事はありましたが世の中はバブル真っ只中
バブルの恩恵に与った会社の社員は忙しく働きアフター5には酒宴の接待
休みの日はゴルフの接待の後またしても酒宴の接待と接待尽くし
そんなサラリーマンに強烈なキャッチコピーで売り込みを掛けたのが
ライオン製薬から発売された強力内服液「グロンサン」だった
高田純次さんの「♪5時から男のグロンサン」ってCMは耳に残るキャッチコピーだった
前年の1988年には三共製薬からリゲインが発売され時任三郎さんがCMで歌う
「勇気のしるし リゲインのテーマ」も強烈なインパクトがあった
「♪黄色と黒は勇気のしるし 24時間戦えますか ビジネスマ~ン・・・」
まさにバブル時代を象徴するキャッチCMだったと思いますね!
さて、昭和の終わり、平成の始まりだった1989年の映画界ですが、この年の邦画興行成績NO1は
1986年の「天空の城ラピュタ」、1988年の「となりのトトロ」「火垂の墓」と順調に興行成績を伸ばした
ジブリ作品の宮崎駿脚本の「魔女の宅急便」だった
僕は実際に映画館で観たジブリ作品は「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」
「崖の上のポニョ」「借りぐらしのアリエッティ」「風立ちぬ」くらいだと記憶していますが
魔女の宅急便もテレビでは拝見しましたね
主題歌に起用されたユーミンの「やさしさに包まれたなら」も印象深い
個人的には「安心のジブリ」です! 笑!
洋画に関しては「インディ・ジョーンズ」や「レインマン」「カクテル」なども良かったんですが
やはり個人的には「ブラック・レイン」を押したい
何せ日本を代表する「高倉健」「松田優作」という二人の大物俳優も出演してますからね~
先日お亡くなりになった高倉健さんの事はまだ記憶にも新しいですが
念願のハリウッド進出になった松田優作さんは同映画の撮影中にご自身が癌である事を知る
しかし延命治療を拒み故、安岡力也さん以外には誰にも病気の事は言わず撮影を続けた
映画「ブラック・レイン」は1989年10月に日本で公開になったが
その約ひと月後の11月、膀胱癌のため優作さんは死去、享年40歳だった
いや~ 今回の記事で陛下を含め4人の訃報記事を書いたぞ
この年は本当に悲しい年だったんですね~・・・
さて、1989年の日本歌謡界ですがこの年は前回取り上げたプリンセスプリンセスの
「Diamonds」が大ヒットしてお茶の間に認知され1987年リリースの「世界でいちばん熱い夏」も大ヒット
その他複数曲がトップ10入りしたのが工藤静香さんとWinkだった
他には長淵剛さんの「とんぼ」、光GENJIがヒットしたが個人的にはまったく興味なし 笑!
と、言う事で個人的にはこの時代に存在を知った(笑)今井美樹さんを押したい
どうやら今井美樹さんは1986年にデビューしているようだが
僕は記事冒頭の1988年リリースの「彼女とTIP ON DUO」で彼女の事を知った
この時代僕は日本人歌手に殆ど興味がなかったがプリプリ同様に
今井美樹さんの曲は僕の琴線に触れた 笑!
そして1989年、この曲の大ヒットで今井美樹さんは完全にスターダムにのし上がった
その曲が・・・
瞳がほほえむから/今井美樹 1989
1989年11月にリリースされた今井美樹さんの6枚目のシングル「瞳がほほえむから」
この曲は日本テレビ系の長時間ドラマ「水曜グランドロマン」の主題歌にも抜擢され大ヒット
今井美樹さんの初期の代表作にもなった
と、言う事ですが、こうして昭和を振り返ってみると本当に「激動の昭和」だったと思いますね
64年という長きに亘って続いたという事もありますが昭和初期と昭和の終焉時を比べると
まるで別の国になったような印象すらあります
近代国家へと歩み始めた昭和初期、未曾有の太平洋戦争、そして終戦からの復興
高度成長期中の学生闘争、シラケ時代の暴走族、コンピューター時代の到来、そしてバブル・・・
時代は生き物ですから現在の日本も、もちろん世相は刻々と変化はしています
しかし昭和の時代のように一つの時代にこれほど激動する時代はもう来ないんじゃないかな~
僕は戦後の生まれですが、こうして見ると本当に一番いい時代に生まれ育ったような気がしますよ
食べる物に困った時代でもありませんし世の中が劇的に変化した時代を全て経験出来ましたからね~
1989年に1歳だったウチの長男を当時の愛車KAWASAKI Z750FXに跨がすと大泣きしてた
そんな彼も20代後半になって今では笑顔でバイクに乗ってる 笑!
昭和が終わって早28年が終わろうとしているのか、ホントあっという間ですな~・・・
と、言う事で年賀切手シリーズ、これにて完結!
長らくのご清聴誠にありがとうございました! ジャンジャン!!
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