1986年(昭和61年) 神農の虎
さて、毎週火曜日恒例の年賀切手シリーズですが今回は1986年(昭和61年)です
結果論ではありますが昭和も残り2年少々となる1986年12月
今思えば狂ってた時代と形容されるバブル時代が幕を開けます
僕は仕事柄あまりバブルの恩恵を受けたような気はしませんが
バブル時代と言えば個人的に思い浮かぶのは「地上げ」「財テク」「ジュリアナ」
六本木カローラと揶揄された「BMW」辺りかな~ 笑!
そんなバブル夜明け前の1986年はどんな年だったのか?
と、言う事でここからは1986年の中山美穂さんのヒット曲
「色・ホワイトブレンド」を聴きながらご覧ください!
色・ホワイトブレンド/中山美穂 1986
1986年4月8日、ショッキングなニュースがテレビに映し出された
当時人気絶頂だったアイドル歌手「岡田有希子」さんが
所属するサンミュージックのビルの屋上から飛び降り自殺を図った
岡田さんは自殺当日の朝にも手首を切った上でガス自殺を図るなどの行動を起こしていたようで
事務所でそのことについて事情を聞かれていた最中、関係者が目を離した隙に
屋上へ上がり飛び降り自殺をしたとのことです
原因についてはドラマ共演者だった俳優の峰岸徹さんへの恋愛感情だと噂されています
彼女は1冊の日記ノートを残していたそうです
その日記ノートには彼女が峰岸を思い、その事が嬉しくて喜ぶさま
一方でその恋は成就しないと判断し真綿でクビを絞められるような
苦しみが克明に綴られていたという
その衝撃的な自殺から彼女のファンを中心に後追い自殺者が相次ぎ社会問題にもなった
てか、僕のイメージではこの岡田さんの自殺からティーンエイジの自殺が
日常的と言っては語弊があるが頻繁になったような気がします
1986年12月9日、バブル時代の幕開けにふさわしい?(笑)事件が勃発した
今では「世界の北野」と言われるビートたけしさんが、たけし軍団11名を引き連れ
写真週刊誌「フライデー」の編集部を襲撃した、世に言う「たけしフライデー襲撃事件」だ
当時たけしさんと親密な関係にあったと言われる専門学校生の女性(当時21歳)に対し
フライデーの契約記者が女性が通う学校の校門付近でたけしとの関係を聞こうと声をかけた
それを女性が避けて立ち去ろうとしたため、記者が前方に立ちふさがってテープレコーダーを
彼女の顔に突きつけ手を掴んで引っ張るなどの行為に及び頸部捻挫、腰部捻傷で
全治2週間の怪我を負わせた
これに怒ったたけしさんはフライデーの発行元である講談社に電話をかけ強引な取材に抗議した上
「今から行ってやろうか」と威嚇し翌12月9日の午前3時過ぎに軍団を引き連れ押し掛け
その結果、暴行傷害事件へ発展した、さながら仁義なき戦いだ 笑!
と、言う事だが日本と言う国は有名人のプライベートを何で知りたがるんだろう?
個人的には芸能人が誰と付き合おうが、不倫しようが、離婚しようがまったく興味がない
それらの事に対して大の大人の有識者が公の電波を使って論議しコメントを出す・・・
それよりもっと論議すべき大事な事は山ほどあると思う、ホントに平和ボケしてると思いますよ
バブル時代の幕開けと共に後に時代の象徴と言われるようになる
ファッションブランドが若い女性に大人気になります
バブル時代が進むにつれ女性の服装は露出を強めボディーラインが強調されていきます
そんな女性に大人気になったのが1980年にニューヨークで生まれた「ピンキーアンドダイアン」だった
スカートの丈は下着が見えるほど短くなりブラジャーの紐も気にせず胸元はどんどん切り込まれました
彼女達は時のディスコ「マハラジャ」や「キングアンドクイーン」のお立ち台に上がって踊り狂います
現代に置いてこんな恰好してるのはauのCMで見る田中美奈子さんくらいですが(笑)
P&Dのボディコンを着てディスコで踊り狂う女性はパンティーが見えようが胸元が見えようがお構いなし
1990年代に入ると伝説のディスコ「ジュリアナ」がオープンして
扇子を持って腰をくねらす彼女達は栄華を極めます
しかし以て当時ボディコンを着ている女性が皆が皆似合ってたかと言われれば・・・ 笑!
てか、こんな恰好して「イヤラシイ目で見るな」とか「下着を見られた」とか騒ぐ輩もいましたが
どっからどう見ても自ら男を挑発するようなイヤラシイ恰好を好んでいたとしか思えませんがね~ 笑!
女性がボディコンなら当時のバブル男子に大流行したのが
イタリアの超高級ブランド「アルマーニ」だった
バブルの恩恵に与ったバブル男子は1着数十万円もするアルマーニのスーツに身を包み
六本木カローラと揶揄されたドイツの高級車に乗って「アッシー君」になり
高級イタリアンレストランで札束を切る「メッシー君」になり
高級ブランドのバックをプレゼントする「ミツグ君」になった 爆!
ま、僕は職業柄バブル男子にはなれなかったから違う世界の人達を見ているようでしたがね~ 笑!
だから僕はアルマーニの服なんて一着も持っていなかった
てか、興味がなかった・・・いや、買えませんでした 笑!
しかしバブルが弾けた後、バブル男子達はどうなったか?
まさに天国から地獄、そう!彼、彼女達は当時バブルという夢の中にいたのでした 笑!
1986年に画期的なカメラが富士フィルムから発売になりました
それがこのレンズ付きフィルムの「写ルンです」というインスタントカメラでした
現在写真はデジカメやスマホなどのデジタル全盛時代と言えると思いますが
昨今味がある写真が撮れるアナログなフィルムカメラも見直されてる傾向にあります
しかも今でもこの「写ルンです」も現役として販売されています
現代ではカメラ付機能のスマホを持ってる人が多いですが携帯電話を持っていない年配や
カメラやスマホを忘れた出先でコンビニでも買えて手軽に写真が撮れる「写ルンです」は重宝しますよね
1986年に始まったドラマで当時大人気になった刑事ドラマに
柴田恭平・舘ひろしコンビびよる「あぶない刑事」があった
そしてこの「あぶない刑事」は30年後の今年完結という事で
「さらば あぶない刑事」として映画が公開された
とは言え、僕はこのシリーズをまともに見た記憶はない
僕はクールス時代の舘さんは好きでしたが石原軍団に入った舘さんには興味がなかった
ちなみにこの年は明石家さんまさん、大竹しのぶさん等が出演した
「男女7人夏物語」も高視聴率をマークしたが僕は興味がなく見ていない 笑!
この年に23歳になった僕は話題のテレビドラマにはまったく興味はなかったが
きうちかずひろさんの人気漫画「ビー・バップ・ハイスクール」が映画化された
「ビー・バップ・ハイスクール高校与太郎哀歌」は興味津々で観に行った 笑!
ビー・バップ・ハイスクールの世界はちょうど僕の高校時代の日常が描かれてましたからね~
で、映画を観た感想ですが・・・・・・・・・
1970年代の「暴走シリーズ」や「番長シリーズ」に負けず劣らずの
あまりのくだらなさに笑える内容だった ま、多少懐かしさは感じましたがね 笑!
この年に観た映画で一番印象に残ってるのは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ですね
デロリアンを改造したタイムマシーンもインパクトがありましたね
友人の科学者ドクの作ったタイムマシン・デロリアンに
誤って乗り込んだ高校生マーティが30年前の世界へ
その世界でのドクの協力を得て元の世界へ帰る方法を見つけたマーティだったが
彼には少女の頃の母親に惚れられたために変わりつつある歴史の修復作業が残っていた
ま、映画の趣旨は違いますがビー・バップ・ハイスクールと比べると・・・ 笑!
正確に言うと1985年の作品だが(前回忘れてた 笑)とても興味深い曲がアメリカから聞こえてきた
それがアフリカの飢餓と貧困層を解消するためにアメリカで活躍する著名アーティストが
多数参加し「USAフォーアフリカ」として完成させた「We are the world」という曲だった
曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが作詞・作曲とも共同制作し
プロデュースはクレイシー・ジョーンズが担当した
この試みはイギリスで活躍するミュージシャンが集結して提唱した
バンド・エイドの成功に触発されての物だった
「We are the world」はアメリカ国内だけでシングル400万枚、アルバム300万枚を売り上げ
シングルとアルバム、ビデオの合計で6300万ドルの収入となり
全ての印税はチャリティーとして寄付された
ちなみにこの後日本でも同じような試みが行われたがあまり話題にならなかった 笑!
さて、1986年の日本歌謡界だが、この年ヒットした曲は石井明美さんの「CHA-CHA-CHA」
中森明菜さんの「DESIRE」「ジプシー・クイーン」、Kuwata Bandの「BAN BAN BAN」
渡辺美里さんの「My Revolution」、チェッカーズの「OH!!POPSTAR」辺りだ
しかし個人的には竹内まりやさんが中山美穂さんに楽曲提供した「色・ホワイトブレンド」を押したい
「色・ホワイトブレンド」は1986年の資生堂の春のキャンペーンソングにも起用された
実はこの年の呉のみなと祭りの前夜祭に中山美穂さんがゲストで登場したんですよ
ちょうどミポリンは映画ビー・バップ・ハイスクールにヒロイン役でも出演してたし
当日ステージで新曲として「色・ホワイトブレンド」を歌った
一緒にステージを見ていたクワバラのアニキの指示でミポリンを出待ちして
車を追いかけたのだが結局会う事は出来なかったというオチもあった 笑!
と、こんな感じの1986年でしたが23歳になったこの年僕は勤め先のミヤニシで
先輩の城戸君が独立開業したという事で古株の一人となった
カットコンテストや売上実績でも結果が出てた僕は向かうところ敵なしくらいに思ってた 笑!
世の中はバブルに突入したという事であちこちから景気のいい話が耳にも届いた
今思えば完全に世の中も僕自身も浮かれていた、てか、ナメてたと思う
しかし翌年僕はまたしても人生の転機を迎える事となる
ま、この時点ではそんな事夢にも思っていなかったのであるが・・・
と、言う事で今日はこれまで、来週は1987年(昭和62年)卯年やります
乞うご期待! ジャンジャン!!
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