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「おまけ」の年賀切手シリーズ 1985年

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1985年(昭和60年) 作州牛
 
さて、毎週火曜日のお約束、年賀切手シリーズですが
今日は昭和も60年を迎えた1985年丑年を振り返ってみたいと思います
 
いや~ 現代を生きる我々は、この年から3年少々で昭和が終わるという事は
当然知っていますが、考えてみれば昭和という時代は長かったんですな~
戦前、戦中、戦後、復興期、高度成長期、シラケ時代にバブル期、デジタル時代到来・・・
 
ホント、激動の昭和期ですよね
 
昨今、平成天皇陛下の生前退位が話題になってますが近代日本になった明治維新後
明治が45年、大正に至っては15年、で、昭和が64年、2016年の今年は元号で言うと平成28年
 
てか、平成天皇陛下の生前退位はどうなるんでしょうかね~?
個人的には陛下が語られたように天皇が十分にその立場に求められる務めを
果たせなくなる前に皇太子様に皇位を譲られてもいいと思いますがね~
 
と、言う事ですがここからは1985年のヒット曲である小林明子さんの
「恋におちて~Fall in love~」を聴きながらご覧ください
 
 
 
恋におちて~Fall in love~/小林明子 1985
 
 
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1985年の国内最大のニュースは何と言っても日本航空123便墜落事故でしょうな~
この墜落事故は当時世界最大の航空機事故とも言われましたからね~
 
1985年8月12日月曜日18時56分に東京羽田を飛び立った大阪伊丹空港行きの
ボーイング747-100は群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根に墜落した
 
それから2年後の1987年に運輸省事故調査委員会は事故調査報告書を公表したが
概ね事故の理由として整備士の責任というような発表だった
しかしそれらは、とても納得できるような内容の物ではなかった
 
僕の私見では「責任」という点に置いては日本航空社長やボーイング社に
あるような気がするが結局は謎のままに終わったような印象がある
 
 
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この航空機には歌手・タレントの坂本九さんを始め著名人を含む
乗客524人が登場していたが520人の尊い命が失われた
 
1941年生まれの坂本九さんがもし生きていたら今年75歳という事だが
今でも数々の名曲やロカビリーを歌ってくれているんだろうな~
今頃、先日お亡くなりになった永六輔さんと昔話に花が咲いているのかな?
 
てか、4名の生存者の一人、当時12歳だった川上慶子さんは確か看護師になったと
何かの報道で聞いた記憶があるが現在43歳になったであろう彼女は
アメリカ人と結婚して子育てに奮闘しているそうですよ
 
 
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1985年10月16日、阪神タイガースが21年ぶりにセ・リーグ優勝を果たした
 
8月12日に起こった日航ジャンボ機墜落事故は520人もの死者を出し
その中には阪神タイガースの中埜肇阪神球団社長の名前もあった
 
社長の葬儀に参加した選手たち一同は何をするべきかを感じ一致団結をする
そして1985年10月16日、ヤクルト戦に引き分けて21年ぶりにセリーグ優勝を果たしました
 
 
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この時の阪神優勝の立役者はタイガース史上最高と今でも称される
バース・掛布・岡田の強力クリーンナップだったでしょうな~
 
てか、やはりチームというのは「義」を感じた時には一致団結して強くなるのかもね~
 
今年四半世紀ぶりに優勝するであろうカープは黒田・新井両選手の「義」に感じ入ってる節もあるし
25年前の優勝の時も不慮の死を遂げる炎のストッパー津田恒美さんへの「義」で一致団結した節もある
 
やはり人間は自分の為より人の為に闘う方が強いんだと思いますね~
 
 
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と、言う観点で言えば一番「義」から遠い所にいるのが読売巨人軍なのか? 笑!
1985年のドラフトでは今でも球史に残るK・Kコンビがドラフト指名された年だった
 
「必ず君を1位指名する」と言ってた巨人軍は早稲田に進学すると言ってた桑田を単独1位指名
巨人に裏切られ悲劇のヒーローになった清原はクジ引きで西武ライオンズに1位指名入団
この瞬間、清原=可哀そう、桑田=ダーティーという構図が出来上がった
 
しかし、あれから31年経った今ではイメージはまったく逆になった 笑!
何が二人を変えたのか? てか、もしかしたら二人とも巨人軍の犠牲者だったのか?
 
江川、桑田、二岡、高橋、阿部、長野、菅野・・・
ま、これからも巨人軍は金と権力を武器に「何かやらかす」ような気はするが・・・ 笑!
 
 
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日航ジャンボ機墜落事故では多くの命が失われたが
1985年には夏目雅子さんも急性骨髄性白血病のため命を失った、27歳という若さだった
 
これも運命と言えばそれまでだが、今でも重ね重ね残念に思う
もし、夏目雅子さんが生きていれば現在58歳という事だが、もし生きていれば
今でも人々を感動さす沢山の作品に出演されている事だろう
 
きっと今頃、天国で元キャンディーズのスーちゃんと女子会でもやっているのかもね
 
 
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こんな悲しい事が多かった1985年だが、おめでたい事もあった
 
当時トップアイドルだった松田聖子さんは郷ひろみさんやトシちゃん、マッチと浮名を流したが
世間もアッと驚いた俳優の神田正樹さんと晴れてゴールインした
その結婚は「聖輝の結婚」と言われた
 
これに伴い僕にとって最後のアイドルだった松田聖子さんは僕の中で完全に終わった 
まあ、この頃は、もう僕の中では殆ど終わってたんですけどね~ 笑!
 
その後の松田聖子さんは皆さんもよく御存じの通りです
 
現在聖子さんは54歳という事ですが昨今流行の美魔女の筆頭だと思います
眼鏡市場のCMで見かけますが当時より明らかに綺麗です、何でだろう? 爆!
 
 
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スニーカー業界は今や年間何十兆円もの利益を生みだすアイテムだが
1980年代後半から起こるスニーカーブームの火付け役になったのがナイキが発売した
NBAのスーパースター「マイケル・ジョーダン」が愛用したエアジョーダンだった
 
そのエアジョーダンⅠが発売されたのが1985年の事だった
しかし、このエアジョーダン意外や意外、発売当初はまったく売れずメーカーは在庫の山だった
 
売れないながらも“何か”を信じ続けモデルチェンジをし続けたエアジョーダン
その後ナイキの執念が実を結んだのかジョーダンの人気とともに徐々に売れ始め
1989年のエアジョーダンIVで大ブレイク!
 
1990年代に入るとスニーカーを巡りスニーカー狩り殺人事件が起きるほど
社会現象となったエアジョーダン人気
それに伴い1987年に登場したエアマックスもプレミア価格が付くなどナイキ全盛期に突入した
 
僕の周りにも当時スニーカーマニアは沢山いたが僕はニューバランスは好きだったが
なぜか僕はナイキのハイテク?スニーカーにはまったく興味がなかった 笑!
ハワイに行った時に息子達に「野茂マックス」をお土産に買って帰ったくらいだった
 
 
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1985年には、その後の「アイドル」という定義や価値観を大きく変えた番組が始まった
それが月曜から金曜の夕方5時からフジテレビ系列で放送された「夕やけニャンニャン」という番組だった
 
この番組、総合司会は片岡鶴太郎さんだったが、とにかく「とんねるず」の印象が強い
 
まあ僕は当時社会人として働いていたからたまに月曜日に見る事はあったが殆ど見る事はなかった
印象としては素人高校生の放課後ってイメージが強かった
 
 
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当番組の「アイドルを探せ」というコーナー名のオーディションに合格した
女子高校生などは「おニャン子クラブ」としてデビュー
 
それまで番組で素人を使うってのは萩本欽一さんがよく使ってた手だが
その後に続く「モーニング娘」や「AKB48」などの素人アイドル路線はおニャン子が元祖だろう
 
おニャン子の成功で秋本康さんは名実共に時代の寵児となったが
逆に僕は個人的に日本の芸能界にまったく興味がなくなった 笑!
 
 
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おニャン子が女子高生ノリの軍団なら、硬派を売りにして「セイヤー!」という掛け声で
人気者になったのが現俳優の哀川翔さんや柳場敏郎さんが所属してた
パフォーマンス軍団の「一世風靡セピア」だった
 
一世風靡セピアは正確に言うと前年1984年の「前略、道の上より」でデビューしたが
原宿で生まれた時代の申し子という事で1985年には大人気になった
 
原宿の歴史は1970年代半ばのバイクチームCOOLSに端を発し
暴走族→たけのこ族→ロックンロール族と姿を変え1980年代半ばに
一世風靡セピアというパフォーマーを生んだという事だ
 
 
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1985年にデビューし、人気になったグループにTUBEもいた
 
チューブと言えば一般的にはサザンと並んで「夏」のイメージが強いが
デビュー当時はチェッカーズやSALLYといったアイドルグループの対抗馬としてデビューしたんだそうだ
 
1985年6月にリリースした「ベストセラー・サマー」という夏の曲が大ヒット
それに続けと同年10月にセカンドシングル「センチメンタルに首ったけ」
リリースしたがセールスは伸び悩んだ
 
で、翌年1986年4月にサードシングル「シーズン・イン・ザ・サン」をリリースし大ヒット
これにより「TUBE=夏のバンド」というイメージが定着した
 
 
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さて、1985年の映画界で邦画で興行成績トップになったのが
中井貴一、石坂浩二さんが主演した「ビルマの竪琴」だった
 
ビルマの竪琴は竹山道雄の同名小説の29年ぶりの再映画化で
日本兵の霊を慰めるため僧侶となってひとりビルマの地に残る兵士の姿が描かれている
 
感動の名作の一つでしょうな~
 
 
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1985年の洋画は1984年12月に封切られた昔ながらの"お化け退治"物語を
ふんだんなSFXとコメディ・タッチで復活させた娯楽作「ゴースト・バスターズ」でしょうな~
 
大学で超常現象の研究を行う三人の科学者が援助を打ち切られたために幽霊退治の商売に乗り出す
彼らの活躍が次第に広がる中、マンハッタンの高級マンションに住む女性の周りに
奇怪な現象が起き始めていた・・・という内容の映画だった
 
レイ・パーカー・ジュニアによる主題歌「ゴーストバスターズ(Ghostbusters)」は印象的な
ベースラインとキャッチーな掛け声が特徴的で全米を始め日本でも大ヒットした
 
 
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さて、1985年の日本歌謡界ですが、この年も前年に引き続き
チェッカーズ中森明菜さんの独断場という印象がある
 
チェッカーズは「ジュリアに傷心」「あの娘とスキャンダル」「俺たちのロカビリーナイト」
中森明菜さんも「ミ・アモーレ」「飾りじゃないのよ涙は」「SAND BEIGE」と各3曲がランクイン
 
その他はCCB「Romanticが止まらない」、安全地帯「悲しみがとまらない」
松田聖子さんの「天使のウィンク」がランクインしている
 
が、個人的にはTBS系ドラマ「金曜日の妻たちへⅢ」の主題歌になり大ヒットした
小林明子さんの「恋におちて」を押したい
 
ウチの大明神様のカラオケの十八番ですからね 笑!
 
 
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と、こんな感じの1985年でしたが今思えばこの時代は
来たるバブル時代の前兆があったような気がしますね
 
僕はこの年に22歳になったんですがパーティーを企画したり参加したりと
とにかく若さもあって盛り上がる事が多かったですね
その後の人生の伴侶となる大明神様との交際も始まりましたしね 笑!
 
と、言う事で今日はこれまで、来週は1986年(昭和61年)寅年やります
乞うご期待! ジャンジャン!!
 
 
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