1984年(昭和59年) 小槌乗りねずみ
さて、過去24回に渡ってお届けした年賀切手シリーズも先週で完結させたつもりでいたのですが
多くの方から(ホンマかいの?笑)継続のご要望がありましたので、どうしようかと少し悩んだのですが
せっかくここまで続けて来たという事で昭和が終わる1989年(昭和64年)まで続ける事にしました
皆様に置かれましてはもう少しお付き合いいただきたいと思います! 笑!
と、言う事で今日は昭和50年代最後の年になった1984年の世相に迫ってみたいと思います
今でも記憶に新しい「バブル時代」というのは一応1986年(昭和61年)からを指すそうですが
今思えば1984年頃にはすでに、その兆候は出始めていたように思います
バブル景気に向け仕事が忙しくなった夫がかまってくれないなどと自分の事は棚にあげて
不満をもちヤケになる主婦の事を「くれない族」と言われ始めたのが1984年
いつまでも自立心が持てず少年のままでいたいという心理の若者は「ピーターパン症候群」と言われた
そんな1984年はいったいどんな年だったのか?
と、言う事でここからは1984年に大ヒットしたチェッカーズの
「涙のリクエスト」を聴きながらご覧ください!
涙のリクエスト/チェッカーズ 1984
1984年はそれまで使われていた紙幣が一新され新しい紙幣が発行された年だった
1982年に500円硬貨が発行された後も岩倉具視の500円札は1985年まで製造されてたようですが
伊藤博文の1000円札、聖徳太子の5000円札、10000円札は廃止されました
新しい紙幣は1万円札が福沢諭吉、5000円札が新渡戸稲造、1000円札が夏目漱石と
明治の文化人を肖像にした新札が11月1日に発行されました
新札の特徴は省資源と国際化時代に対応するために小型化され縦は7.6cmに統一
横は旧札より1.4cm縮められました
いや~ 個人的な意見ですが新札が発行になった時は何だか安っぽくなったと感じましたね~
特に聖徳太子の5000円札、10000円札には重みがあったような気がします
てか、今後5万円札、10万円札って発行されるんだろうか?
1984年3月、今でも記憶に新しい「グリコ・森永事件」が勃発した
兵庫県西宮市の自宅で子どもと入浴していた江崎グリコ社長・江崎勝久さん(当時42歳)が
家に押し入った2人組の男に連れ去られた
犯人は江崎社長を人質に大金を要求、その後監禁されていた江崎社長は自力で脱出
しかし犯人はグリコ製品に青酸を入れたとして同社を脅迫し始めた
やがてその矛先は丸大食品、森永製菓、ハウス食品などにも向けられた
犯人グループは頻繁に警察やマスコミに挑戦状を送っていたが1985年8月に犯行終結宣言
その後すべての事件は時効を迎えた・・・
う~ん、この事件は1968年に起きた戦後最大のミステリー事件と言われる
「3億円強盗事件」に匹敵するくらいミステリアスな事件だった
てか、僕は当時犯人のモンタージュ写真を見て誰かに似てると思ってたんですよ
で、ある日僕はテレビを見ててピンと来た、こいつは・・・
「私はこの禁煙パイポでタバコをやめました、私はコレで会社をやめました!」
のマルマンの禁煙グッズのCMに出てた彼
いや~ 似てると思いません? 笑!
と、言う事なんですが この禁煙パイポのCMがお茶の間で人気になったのも1984年だった
しかし1984年はCMに登場しパイポおじさんより国民的スターになった奴がいた
それは・・・
三菱ミラージュのCMで一躍人気者になったエリマキトカゲ君 笑!
求愛や威嚇時に”ひだえり”を広げて走る姿が滑稽で人気者になったエリマキトカゲ
エリマキトカゲはオーストラリアやニューギニア島の一部に生息しているだけで
当時日本人ではエリマキトカゲの存在を知る人も少なかった
エリマキトカゲは飼育するのも難しい爬虫類だそうでブーム当時でも日本には少数しかいなかったそうだ
そういった理由もありエリマキトカゲブームは一年もしないうちに沈静化した
ブームと言えば1984年当時、人気急上昇中だったお笑いコンビ「とんねるず」と
放送作家・作詞家の「秋本康」の勢いが凄かった
彼らは数々のブームを作ったが注がれた酒を息を継がず一気に飲み干す
「一気飲み」を流行らせたのも彼らだった
その象徴とも言えるのが秋本康さんが作詞し、とんねるずがリリースした「一気!」という曲だった
「♪飲めぬ下戸にはヤキ入れて・・・」
と、今ではパワハラで訴えられられそうな過激な歌詞だった
注がれた酒を飲みほした奴が次のターゲットを指名する
注いで、注がれてを繰り返している最中には周りから「一気!一気!・・・」の掛け声が・・・
そうやって一気飲みは延々と続いた
しかし一気飲みの流行は若者の急性アルコール中毒などの事故にも繋がり社会問題にもなった
当時は僕も若かったから「一気!」のノリも楽しかったが今では冗談じゃない、絶対無理です! 笑!
さて、前年の1983年はドラマの当たり年でしたが1984年はどうだったのか?
調べてみると今でも語られる「スクール★ウォーズ」が放送されたのが1984年だった
伏見工業高等学校ラグビー部をモデルにした馬場信浩の小説を元にドラマ化
ラグビーを通して生徒を更正させようとする熱血教師・滝沢と
彼に反発しながらも次第に心を開いていく生徒たちの交流を描く・・・
いや~ 青春学園物ドラマと言えば僕の世代は森田健作さんの「おれは男だ!」
村野武範さんの「飛び出せ青春!」、中村正俊さんの「われら青春!」辺りがテッパンだが
この時代もまだクサい演出の青春ドラマが続いていたんですよね
麻倉未稀さんが歌った主題歌「ヒーロー」もヒットしましたが
僕は意外にもこのドラマは見ていません 笑!
が、同じ青春ドラマでも「不良少女とよばれて」は見てましたぞ
ドラマ「不良少女と呼ばれて」は舞楽者・原笙子の自伝的小説を元にTVドラマ化した作品で
母親の「あなたを産まなければよかった・・・」って言葉にショックを受けて非行に走った少女が
一人の青年の献身的な愛によって更正するまでを描くという青春ストーリーだった
と、言う事なのだが この年に21歳になる僕は真剣にドラマを見ていたわけではない
只単に登場人物のセリフの真似をしてオチャラケて遊んでいた程度だった
とにかく不良組織「東京流星会」会長の西村役を演じた松村雄基君が面白かった
「翔子~ ここに3百万ある・・・!」ってセリフをよく真似てましたね! 笑!
1984年に始まったテレビアニメで大人気になった作品に「北斗の拳」があった
北斗の拳は1983年に週刊少年ジャンプで連載が始まった武論尊&原哲夫による
バイオレンスアクション漫画で大人になった僕が久々にハマった漫画だった
その北斗の拳が1984年にアニメ化されたんですよね
とは言え僕は漫画の方は最後まで読んだ記憶はあるがテレビアニメは頻繁に見てた記憶はない
ケンシローが敵の秘孔を突く時のセリフ「あたたたた・・・・・ オマエはすでに死んでいる」って
セリフは流行ましたな~ 笑!
さて、テレビの方はそんな感じでしたが映画はどうだったのか?
ざっと調べてはみたが「これ!」という作品もない 笑!
強いて挙げれば角川映画の「里見八犬伝」だが映画館で観た記憶がないから
たぶんテレビのロードショーで見たんだと思う
まあ僕にとっての八犬伝と言えば先日記事にした
辻村寿三郎さんのNHKの人形劇「新八犬伝」ですからね 笑!
さて、洋画と言えば正確的には前年の1983年公開の映画なんですが
フランシス・コッポラ監督が手掛けた青春映画「アウトサイダー」を忘れてた 笑!
この作品は3回も映画を観に行きましたからな~
アメリカオクラホマ州で起きた下町の貧困層「グリース」と、山の手の裕福層「ソッシュ」との
対立や友情、恋愛を描いた青春群像だった
ま、パターン的に言えば「アメグラ」「さらば青春の光」「ウエストサイド物語」
「グリース」「ワンダラーズ」的な作品だと思う
グリースの重鎮ダラスを演じたマッド・デュロンがカッコ良かった!
主題歌に採用されたスティービー・ワンダーの「ステイ・ゴールド」も良かった!
さて、最後は日本歌謡界だが1984年はチェッカーズがブレイクした年という事もあって
僕の一押しの「涙のリクエスト」の他にも「哀しくてジェラシー」「星屑のステージ」と
チェッカーズの曲が3曲もランクイン
女性シンガーで言えば中森明菜さんが大人気で「十戒」「北ウイング」「サザン・ウインド」の
3曲がランクインしてる他、松田聖子さんの「Rock'n Rouge」がランクイン
後は安全地帯の「ワインレッドの心」、芦屋雁之助さんの「娘よ」がヒットしています
確かにこの時代のチェッカーズは飛ぶ鳥をも落とす勢いでしたね
と、言う1984年でしたが、この年僕はロンドンのヴィダルサッスーンに美容留学し
初めての海外での生活で沢山の刺激を受けた思い出深い年になりました
当時ロンドンではパンクが全盛期でキングスロードには沢山のパンクの姿がありました
セックス・ピストルズやカルチャークラブのボーイ・ジョージが人気がありましたね
そして帰国後、僕はカットコンテストでまさかの優勝を果たし人生の転機になったんですよね
と、言う事で今日はこれまで!来週は1985年(昭和60年)やります
乞うご期待! ジャンジャン!!
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