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My Music Travel 38 真夜中のドア Stay With Me

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僕が思い入れがある昭和の時代のアーティストや楽曲を振り返り
当時の世相やエピソード、僕の思い出などを振り返るシリーズ「My Music Travel」
 
このシリーズでは昭和に活躍したメジャーなアーティストからマイナーなロッカーまで
僕が昭和の時代に聴いた思い入れのある曲を過去37回に渡ってお届けして来た
 
実は僕はシリーズ開始直後からいつかは取り上げたいと思っていた女性アーティストがいた
 
しかし僕はその女性アーティストの名前とデビュー曲こそ覚えていたのだが恥ずかしながら
実際にレコードも買ってはいないし、顔も知らなかったし、何の予備知識もなかった
 
冒頭の北川景子さんに似た彼女の写真や曲のタイトル「真夜中のドア/Stay With Me」を見て
失礼ながら彼女の事がわかる、知ってる、と思った方がどれくらいいるのだろうか?
 
しかし彼女もれっきとした昭和の歌謡界に歴史を刻んだアーティストの一人だったのだ
 
 
 
 
真夜中のドア Stay With Me/松原みき 1979 作詞・三浦徳子 作曲・林哲司
 
To you... yes, my love to you yes my love to you you, to you
 
私は私 貴方は貴方と昨夜言ってた そんな気もするわ
グレイのジャケットに見覚えがある コーヒーのしみ
相変らずなのねショーウィンドウに 二人映れば
 
stay with me... 真夜中のドアをたたき帰らないでと泣いたあの季節が 今 目の前
stay with me... 口ぐせを言いながら二人の瞬間を抱いてまだ忘れず 大事にしていた
 
恋と愛とは 違うものだよと昨夜言われた そんな気もするわ
二度目の冬が来て離れていった貴方の心
ふり返ればいつもそこに 貴方を感じていたの
 
stay with me... 真夜中のドアをたたき心に穴があいたあの季節が 今 目の前
stay with me... 淋しさまぎらわして置いたレコードの針同じメロディ 繰り返していた
 
stay with me... 真夜中のドアをたたき帰らないでと泣いたあの季節が 今 目の前
stay with me... 口ぐせを言いながら二人の瞬間を抱いてまだ忘れず 暖めてた
stay with me... 真夜中のドアをたたき帰らないでと泣いたあの季節が 今 目の前
stay with me...
 
 
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1979年11月に「真夜中のドア/Stay With Me」でデビューした松原みき
 
優等生で大学に進むと思われていた彼女は17歳の時に音楽の道に進む為に上京する
ライブハウスや米軍キャンプで歌い歌手になる夢を追った
 
 
そして六本木のジャスクラブでのステージが注目されデビューが決まる
 
デビュー曲の「真夜中のドア/Stay With Me」作詞三浦徳子、作曲林哲司という
気鋭のヒットメーカーたちでまさに期待の新人だった
レコードは30万枚を売上数々の賞を受賞する・・・
 
僕がこの曲を始めて聴いたのは忘れもしない年が明けた1980年2月の事だった
 
1980年2月に高校を退学になった僕は退学届を提出した次の日から
先輩の誘いもあって積水ハウスの建売住宅を建てる工務店の見習として働き始めた
 
あの時代の冬は今とは比べ物にならないくらい寒かった
現場は主に新興が進みつつあった黒瀬東広島が多かったが
僕は工務店の棟梁さんの車に乗せられて現場への行き帰りをしていた
 
現場への行き帰りの車中にはいつもカーラジオが流れていた
 
冬の冷たい風が吹く夕暮れの帰り道でいつもラジオから流れていたのは
「遠くへ行きたい」のOPで始まる先日お亡くなりになった永六輔さんの「誰かとどこかで」だった
 
 
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そんなラジオから毎日何度も流れていたのが松原みきさんの真夜中のドアだった
今思えば期待の新人という事でレコード会社も強烈にバックアップしてたんでしょうな~
 
現場への行き帰りで毎日何度も真夜中のドアを聴いてる内に僕は松原さんの歌声に魅了されていた
しかし僕は当時なぜかテレビで歌ってる彼女を一度も見た記憶がない
 
てか、あれから35年の歳月が過ぎた今の今まで友人から「松原みき」という名前を聞いた事も
友人が彼女の楽曲を聴いている場面にも遭遇した事がない事に疑問を感じているのだが・・・
 
どうやら松原さんは当時同じくらいのポジションにいた竹内まりやさんと何かと比較されてたようだ
 
当時鳴かず飛ばずのシンガーソングライターだった林哲司氏が本格的に作曲家・編曲家へ
シフトしていった時代の彼にとっての初期の代表曲が竹内さんの「SEPTEMBER」(1979年8月発売)であり
松原さんの「真夜中のドア」(1979年11月発売)だったそうでレコード売上もほぼ互角だったようだ
 
しかし1979年のレコード大賞新人賞は竹内まりやさんの「SEPTEMBER」が受賞した
更には竹内さんは翌年リリースの「不思議なピーチパイ」
資生堂・春のCMソングに抜擢され大ヒットした
 
ちなみに同時期の資生堂のライバルだったカネボウがCMソングに抜擢したのが
渡辺真知子さんの「唇よ、熱く君を語れ」だった
 
しかし翌年1981年に松原みきさんも資生堂のCMソングに大抜擢されたのです
 
 
 
 
ニートな午後3時/松原みき 1981 作詞・三浦徳子 作曲・小田裕一郎
 
階段登る靴音だけで あなたとわかる 私だった
だけどある日 突然違う香り あなたの胸に見つけたの
テーブル囲むお茶の時間に 何げなく問いつめたFebruary
あなたけそうよ 次の週には 8階…この部屋 消えていた
忘れなさいよ 淚のダイアリー 春風吹いてる 季節ならば
 
I'm gonna feel Neat,Neat,Everyday 恋の数ほど女は
Neat,Neat,Everyday 自由になれるわ
未来を愛して 愛して She's Just Neat
 
いつかどこかでまた逢えるでしょう やせがまんした 私だった
だけどある日 突然Bellが鳴って あなたの声が聞こえたの
愛の出逢いの西五番街 もう一度待ってるよとApril
私は何故か 次の瞬間 私はいないと 答えたの…
薄れてゆくわ 涙のメモリーズ 歩道に花束 まき散らして
 
I'm gonna feel Neat,Neat,Everyday 恋の数ほど女は
Neat,Neat,Everyday 自由になれるわ
未来を愛して 愛して She's Just Neat
 
Neat,Neat,Everyday 恋の数ほど女は
Neat,Neat,Everyday 自由になれるわ
未来を愛して 愛して She's Just Neat
She's Just Neat She's Just Neat
She's Just Neat She's Just Neat
 
 
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そのCM曲「ニートな午後3時」三浦徳子-小田裕一郎コンビによる力作ではありましたが
オリコン最高位26位の中ヒットに終わりました
 
同時期のライバル・カネボウCMの矢野顕子さんが歌った「春咲小紅」が同5位の大ヒットだっただけに
資生堂にとっても松原さんにとっても敗戦のイメージが強く付いてしまいました
 
てか、僕もYou Tubeで「ニートな午後3時」を聴いてこの曲を思い出しましたが当時を思い出しても
圧倒的に矢野顕子さんの「春咲小紅」の方が人気もインパクトもあったと思いますね
 
しかしタイトルの「ニート」ってのは現代では「無職」「プータロー」って意味ですよね~
で、ネットで調べてみるともともとニートの本当の意味は「整理整頓された」とか「整った」とか
「こざっぱりした」「こぎれいな」って意味なんだそうですよ 笑!
 
そんな松原さんでしたが2000年の暮れに突然衝撃的なメールを仲間に送り音楽活動を休止した
大切にしていたレコードや楽譜を燃やしあれほど打ち込んだ音楽に触れることを一切やめたのだ
 
実は病に蝕まれており子宮頸がん末期の状態だったのだ
大好きな音楽を捨ててでも生きたい・・・
松原さんは全力で戦ったが2004年、静かに天国に旅立った、享年44歳だった・・・
 
この記事を書くのに今回松原さんが残した沢山の楽曲を聴きました
「真夜中のドア Stay With Me」を始めとするそれらの楽曲は今聴いても
ぜんぜん色褪せてもないし古臭くも感じないと強く感じましたね! ジャンジャン!!
 
 
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