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続・年賀切手シリーズ 1976 辰年

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1976年(昭和51年) たつぐるま
 
さて、毎週火曜日恒例の年賀切手シリーズですが今日は1976年(昭和51年)
世相を振り返り当時の出来事を僕の思い出話と共に綴ってみたいと思います
 
1976年と言う年は僕の人生にとって一つ大きな分岐点になった年でした
まあ誰でも通る道ではあるのですが僕はこの年の3月に呉市立長浜小学校を卒業し
4月には敷地としては小学校の隣にある呉市立長浜中学校に入学しました
 
小学校の時に「児童」と言われてた僕の世代も中学生になり「生徒」になったという事です
人生の折り返し地点を疾うに過ぎた今の僕にとっての最近の1~2年は何ら変化にも乏しいですが
ティーンエイジと言われる思春期の1~2年と言うのは精神的にも肉体的にも劇的に変化します
 
そんな訳で当時の僕の興味も短期間のうちに激動的に変化します
僕にとって大人への階段を一歩踏み出した1976年はいったいどんな年だったのでしょう
 
と、言う事でここから先の本文は1976年(昭和51年)に大ヒットした
太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」を聴きながらご覧ください!
 
 
 
 
木綿のハンカチーフ/太田裕美 1976
 
 
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1976年・・・と、言うより僕が中学1年の時の世相を思い出して真っ先に思い浮かぶのは
この年に行われたモントリオールオリンピックでしょうね~
 
モントリオールオリンピックでは日本体操男子が団体で金メダルに輝くなど
日本勢も大活躍しましたが同オリンピックはルーマニア体操女子代表
まだ幼さが残る一人の14歳の少女に話題を独占されてしまいます
 
彼女の名前は白い妖精と異名をとったナディア・コマネチ
 
種目別の段違い平行棒と平均台で近代オリンピック初となる10点満点を叩き出し
個人総合と合わせて3つの金メダルを獲得し、団体で銀メダル、床で銅メダルとメダルを独占しました
 
僕もメディアに踊らされ(笑)大いに感化されコマネチファンになり部屋にポスターまで貼っていた 笑!
 
その後ツービートのたけしさんが世に出るキッカケとなった
「コマネチ!」というギャグを知らない人はいませんよね
 
てか、今見ると当時のコマネチさんってけっこう筋肉質だったんだな~ 笑!
 
 
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スポーツの話題をもう一つ
 
先日敗血症ショックで74年の生涯の閉じた1976年当時のボクシング世界ヘビー級王者の
モハメド・アリ氏と日本プロレス界のエースだったアントニオ猪木さんが異種格闘技戦を行った
 
今では異種格闘技戦と言っても驚きはしないが当時は画期的な事だった
僕も興味津々で試合を見ましたが正直ガチンコ勝負という感じには程遠く感じた
 
勝つための戦略だったんでしょうが猪木さんはパンチを食らわないように寝転がり
アリの足にローキックを放つばかり・・・
 
異種格闘技戦実現に至るにプロレス技の殆どは禁止されてたから
苦肉の策でもあったんですがね~
 
まあ夢の対決をリアルタイムで見たという事は良かったと思いますけどね 笑!
 
 
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昨今元都知事の石原慎太郎さんが書いた「天才」って著書が話題になってますが
その政治の天才だった時の内閣総理大臣、田中角栄氏の
ロッキード事件が起こったのも1976年の事だった
 
みなさんもよく御存じだと思いますがロッキード事件というのはアメリカのロッキード社の
対日航空機売り込みに絡む疑獄事件で田中総理始め政治家や丸紅、全日空の幹部
計16人が受託賄賂、贈賄などの罪で起訴されたという事件だ
 
まあ真相は僕にはよく分からないが昔も今も政治家と金という問題はなくなる事はない
てか、政治家になりたい人ってのは基本的に金が欲しい人がなるわけで
実際に当選するとオイシイ事がわんさかあるから皆さん頑張るんでしょうからね~
 
ま、そうした裏の不祥事も国への貢献をすれば世間もある程度は目を瞑るんでしょうけど
政治家にとって現代は、やり難い時代になったんじゃなかろうか?
 
あれだけマスコミに嗅ぎ回られシッポを掴まれたらケツの毛まで抜かれちゃいますからな~ 笑!
東京のネズミ男も結局は辞任しちゃいましたからね~
 
 
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1976年頃に僕の仲間達で大ブームになった事に角川文庫の文庫本ってのがあった
世の中的にはどうだったのかは知りませんが当時仲間で文庫本を買って回し読みするのが大流行した
 
中でも人気を二分したのが「横溝正史」「森村誠一」の2人の作家だった
今でも実家に帰ればこの二人の文庫本は本棚に多数収納されている
 
メジャーになった作品からマイナーな作品まで沢山の作品を読んだが
個人的には印象に残ってる作品を1点づつ挙げると横溝正史さんは「八つ墓村」
森村誠一さんは「人間の証明」かな~ これらは映画化もされましたしね
 
映画化と言えば・・・
 
 
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人気作家「横溝正史」さん原作の「犬神家の一族」が東宝から配給されたのも1976年だった
 
名探偵金田一耕肋を主人公にした横溝正史の同名小説の映画化で湖畔にそびえる犬神邸に
次々と発生する怪奇な連続殺人事件に挑む金田一耕肋の活躍が描かれた作品だった
 
↑の湖面に足が覗くポスターはインパクトがあったし劇中に登場するスケキヨは不気味だった
 
もちろん僕は当時リアルタイムで映画を見ましたね
 
 
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1976年当時のテレビ番組で印象が強く残っているのが坂上二郎さんや、研ナオコさん、
当時、新御三家と言われた野口五郎、郷ひろみ、西城秀樹さんなどや時のアイドルが
コントを繰り広げ人気を博した「カックラキン大放送」
 
野口五郎さん扮する「ゴロンボ刑事」や研ナオコさん扮するお婆さんの
「ナオコお婆ちゃんの縁側日記」も思い出深い
 
 
 
 
「♪楽しかったひと時が~ 今はもう過ぎてゆく~ ラララララ~・・・」
 
EDの曲も今でもよく覚えている
 
ちなみにカックラキン大放送は80年代に入ると”たのきん”のマッチやトシちゃんが
メインになったそうだが僕にはまったく記憶がない 笑!
 
 
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テレビ番組と言えば中学生になり色気づいてきた僕達の世代に
当時圧倒的に人気があった番組に「テレビ三面記事 ウイークエンダー」があった
 
ま、現代で言う所のワイドショーや情報番組みたいなもんですかね
しかしなぜ当時の中学生に三面記事と題されたワイドショーが人気があったのか?
 
同番組の中で10時15分くらいから再現フィルムというコーナーがあり
事件に基づいて制作された再現フィルムにはお約束のエロい映像が使われていたからだ 笑!
 
 
 
 
現代のようにDVDもパソコンもスマホも増してはビデオもなかった当時において
女性の裸が見れる映像ってのは超貴重だった 笑!
 
それらが見れる番組というのはウイークエンダーの再現フィルムか
平日の11時から放送されてた「11PM」くらいしかなかった
 
当時普通の家庭はテレビは一世帯に1台で子供部屋にテレビがある奴なんて稀だった
親にウイークエンダーや11PMを見てる事が悟られないように
テレビから出る明かりを隠すのにブラウン管に毛布を被せて見ていた物だ 笑!
 
ちなみに11PMが終われば今度はラジオを付けて深夜の「オールナイトニッポン」を聞き入った
特に土曜の夜のMC「鶴光」さんは下ネタトーク満載で超面白かった!
 
 
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1976年に社会現象にもなった週刊少年ジャンプに連載されてた池沢さとしさんの
サーキットの狼に端を発したスーパーカーブームってのがあった
 
日本中の少年は休みともなればカメラ片手にスーパーカーを探し回った
僕もその中の一人だったが当時の呉でスーパーカーを見る事はなかった
 
広島市で行われたスーパーカーショーを友人と電車で見に行った
帰りの電車を乗り間違えて八本松まで行ってしまい
友人の親に車で迎えに来てもらった事も懐かしい
 
当時のスーパーカーの3大巨頭はランボルギーニ、フェラーリ、ポルシェだった!
 
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サーキットの狼同様に1976年に僕達の間で大人気になった漫画に
アクションに連載されていたどおくまんプロの「嗚呼!!花の応援団」があった
 
南河内大学応援団を舞台に展開される暴力や下ネタ満載のギャグ漫画だった
応援団親衛隊長、青田赤道の破天荒なキャラが大人気だった
 
当時中学校の二つ上の陸上部の先輩だった現、呉空冷クレイジーのBOSSは
青田赤道になり切っておられた
 
中ランにボンタンを履いた先輩はよく学校で「クエッ クエッ!」ってやっておられた 笑!
しかし先輩は青田赤道同様に「弱きを助け、強きをくじく」という優しい先輩だった
 
 
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中学生になった僕達は映画にも心酔し封切られる映画は洋画・邦画共に頻繁に観に行くようになる
 
学校に洋画専門誌「スクリーン」「ロードショー」を持ち込み皆で回し読みをして
映画の感想や俳優・女優について論議もした
 
前記した「犬神家の一族」もそうだが1976年に公開された映画「ジョーズ」
迫力ある映像もあって超話題作だった
 
平和な海水浴場に突如出現した巨大な人喰い鮫
観光地としての利益を求める市当局によって対応が遅れ犠牲者の数は増すばかりとなるが
遂に警察署長ブロディと漁師クイント、海洋学者フーパーの三人の男が鮫退治に乗り出す……
 
ジョーズ人気はその後シリーズ化され続いた
 
 
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1976年に始まったアニメにカルピス漫画劇場の「母を訪ねて三千里」
前回記事に取り上げた「キャンディ・キャンディ」、水島新司さん原作の「ドカベン」があったが
中学生になった僕はあまり熱心にテレビアニメを見る事もなくなった
 
思春期になり好みも大きく変わっていったという事だ
 
 
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中学生になった僕は小学生時代以上に多種多様な音楽を聴くようになる
 
テレビに出る歌手のヒット曲は勿論だが解散したかぐや姫グレープ
当時人気を博したアリス拓郎さん、揚水さんなどのフォークにも心酔して
フォークギターを独学で友人達と弾き始めたのも1976年の事だった
 
ローコードの「C」「Am」「D」・・・で弾ける曲を選んで適当にジャカジャカギターをかき鳴らした
「F」や「Bm」が弾けるようになった時は嬉しかったものだ 笑!
当時はタブ譜なんてない時代でしたしね
 
ビートルズを聴き始めたのも、アバなどの洋楽を聴き始めたのもこの頃だった
 
そんな1976年の日本歌謡界のヒット曲と言えば子門真人さんの「およげたいやきくん」を筆頭に
ダニエル・ブーン田中星児さんが歌った「ビューティフル・サンデー」
 
キャンディーズ「春一番」、鮮烈なデビューを飾ったピンクレディー「ペッパー警部」「SOS」
桜田淳子さんの「夏にご用心」、百恵さんの「横須賀ストーリー」、ユーミン「あの日に帰りたい」
思い入れのある曲が目白押しだが悩んだ挙句今回は太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」にした
 
個人的には当時の時代の空気を強烈に思い出させる名曲の一つだと思います
 
 
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と、そんな1976年でしたが、この年の3月に僕は長浜小学校を卒業し4月に長浜中学校に入学しました
僕はどこにでもいるような普通の中学生として学校生活をスタートします
 
クラブは当時の仲間達と共になぜか好きでもなかった陸上部に入りました
長距離も短距離も何でもやりましたが僕は走り高跳びで頭角を現します
毎日先輩にシゴかれ小坪の神社まで山道の旧道を走らされましたね~
 
夏休みに学校の校舎に泊まり込んで行われた合宿も思い出深い
交代で見張りを行うのですが誰も殆ど眠らず夜中にオールナイトニッポンを聞いてましたね
 
それと僕はなぜか3年生のある女性と2年生のある女性に好意を持たれたようで
連れ回されたりバレンタインデーにチョコを貰ったりしましたな~
 
彼女達とは一人は数年前に偶然会いましたが、もう一人の方はあの頃から会ってない
どんな大人の女性になってるんだろうか? 笑!
 
と、いう事で今日はこれまで!来週は1977年(昭和52年)巳年やります!
乞うご期待! ジャンジャン!!
 
 
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