高度成長期に陰りが見え、赤軍派による浅間山荘事件の終結により学生闘争も終焉し
行き場を失った若いエネルギーは三無主義と言われた「無気力」「無関心」「無責任」の
フーテン族を生み出し時代はシラケ時代に突入した1970年代初頭
そんな時代の鬱憤を晴らすように若者達は爆音を奏でるナナハンやシャコタンを
集団で乗り回す暴走族を生み出す
そんな時代の風景を切り取った「俺たちの1975」というタイトルの3部作の写真集
シリーズ最終回の今回は「俺たちの1975 ラストダンス」という写真集を見ながら
当時の若者の生活を読み取ってみたいと思う
前回の「俺たちの1975 アーカイブス」の記事
爆音を奏でる暴走車両を乗り回す暴走族の若者たちの間で
当時「暴走」以外に流行った遊びに「ディスコ」があった
キャバレーに端を発したディスコは当初は大人の夜の社交場だったが
大音量のノリノリの音楽に合わせ暗い空間で踊るディスコはたちまちティーンエイジの間で大流行になる
1970年代後半から1980年代初頭にかけて最盛期を迎えるディスコブームの始まりだった
以前記事にも書いたが僕がディスコデビューを飾ったのは1978年(昭和53年)の中3の時だった
1978年当時は最新曲だったアラベスクの「ハロー・ミスター・モンキー」やビージーズの
「恋のナイト・フィーバー」、アース・ウインド・ザ・ファイヤーの「セプテンバー」等が
思い出深いですが1975年頃に流行ったナンバーもよくかかってましたね
ざっと思い出してもスリー・ディブリーズの「ソウル・トレインのテーマ」や
ザ・スタイリスティックスの「愛がすべて」、KC&サンシャインバンドの
「ザッツ・ザ・ウェイ」や「シェイク・ユア・ブーティー」、ヴァン・マッコイの「ハッスル」辺りが
1975~1976年頃のヒットディスコミュージックじゃなかろうか
ディスコに行けば踊るだけじゃなくナンパにケンカにと何でもある
あの暗くて狭い空間の中に青春の欲求を満たす物が何でもあったんですよね
時代の寵児「オーバー・フェンダー」が取り付けられたマツダ サバンナ
僕等の時代もそうでしたが当時汗水垂らして働いて稼いだ金の殆どは
バイクや車の購入費や改造費として消えていった
今考えれば本当にバランスが悪い出費だとは思いますが
あの時代は乗り物「命」で良い車に乗り派手に改造する事が男のステータスだった
ま、今考えれば高い金かけて乗り物の値打ちを下げていたようなもんですよね 笑!
女の子の価値観も似たようなもんで、女の子を紹介してもらっても最初に彼女の口から出る言葉は
「車は何に乗りようるん?」 でしたからな~ 笑!
「ケンメリよ!」「ベタベタのローレルよ!」って言えば「付き合います・・・」ってなるが
「軽です・・・」「車は持っていません・・・」って言ったら「百年早い!!」って言われたもんだ 笑!
それだけ当時は何の車に乗るかが男としての価値を上下していた時代だったんですよね
今になっては決して褒められた事じゃありませんが経験者はわかると思います
土曜の夜に何十台っていう車やバイクの改造車が暗闇に集まって
さあ始まるぞ!って時のゾクゾクするような緊張感と高揚感
静粛を引き裂くように一斉に爆音が轟き、流れるライトと、けたたましく鳴り響く3連ホーンの大合奏
あの心臓が飛び出そうな感覚は大人になってからは殆ど味わった事がないですな~ 笑!
集団で走る事も楽しかったがソロでのパフォーマンスは注目の的になる
走行中のバイクのシートの上に立つ先輩もいたしウイリーをし続ける奴もいた
バイクのセンタースタンドをアスファルトに押し付け火花を散らすパフォーマンスも目立った
4輪に関しては交差点でのサイドターン、急発進のホイールスピンにハコ乗り・・・
オーディエンスの拍手歓声に鳴り響く爆竹の音と火薬の臭い
事故って死んだ奴もいたけど当時は本当に紙一重だったと思いますね
ま、こんな事やりながら乗り物に乗るんだから事故っても仕方ない
てか、乗り物が凶器だよね~ 笑!
しかし僕の世代の僕の周りは10代の終わりと共に皆暴走族は卒業してた
昨今は成人式という二十歳の祭典で式場で暴れ事件を起こす輩が多い
これって当時に比べて大人の精神年齢が低年齢化してるという事なのか?
大丈夫かニッポン!? 笑!
と、言う事で今日はこれまで! ジャンジャン!!