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年賀切手シリーズ (戌年) 1970 守り犬

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1970年(昭和45年) 守り犬
 
 
さて、約10週間においてお届けした年賀切手シリーズもいよいよ今回から1970年代に入ります
 
古い記憶を辿ってみると僕のイメージでは1960年代はまだまだモノクロの時代だったような気がしますが
1970年代に入ると時代は一変し鮮やかなカラーの時代の幕開けだったような気がします
 
と、言う事で今回は1970年(昭和45年)戌年の世相を振り返ってみましょう
 
戌年生まれの人は誠実で真面目な性格で頑固で自分の評価はめったに変えることがありません
用心深いところがありすぐには心を開きませんので仲良くなるのに時間がかかります
 
この人と決めれば一途に身をていして献身的につくします
そんな人がいるということが喜びで前向きな考えになれます
 
世話焼きでおせっかいな部分がありますが心がやさしく親切がゆえの行動です
非難されると異常なくらい怒りますが相手に対して必要以上に攻撃するわけではありません
 
 
と言う事ですがここからは1970年のヒット曲である
藤圭子さんの「圭子の夢は夜ひらく」を聴きながらご覧ください!
 
 
 
 
圭子の夢は夜ひらく/藤圭子 1970
 
 
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1970年の出来事と言えば1970年3月15日~9月13日の約半年間大阪の千里丘で
カラー時代を象徴するように日本初の万国博覧会が開催されました
 
その6年前には東京オリンピックも開催され高度経済成長の真っただ中にあった日本でのEXPO'70は
まさに宇宙の彼方まで突き抜けていきそうな日本の勢いが実感できた20世紀世界最大のお祭りとなりました
 
大阪を代表する建造物のひとつである「太陽の塔」岡本太郎氏の傑作としてあまりに有名です。
大阪万国博覧会(1970)のシンボルとして会場の中心にそびえ立った異形の塔は
45年余り経った現在でも圧倒的な存在感を持ち続けています
 
 
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写真の日本万博博覧会の記念切手シートは僕が子供の頃集めてた切手コレクションの一部ですが
当時小学校2年生だった僕は連日テレビに映し出される万博の映像を今でもよく覚えています
 
春休みや夏休みに万博に連れて行って貰ったって友達が超羨ましかったですね~
先日も書きましたがウチは家族旅行どころか家族で外食なんて事も一度もなかった家庭でしたからね~
 
 
僕は1981年(昭和56年)にカツジ、GANちゃん、MARUと職業訓練校の修学旅行と称して
無免許で車に乗って(笑)エキスポランドに訪れましたが、その時が最初で最後でしたね
太陽の塔を見た時は子供時代の気持ちを思い出し感無量でしたね~・・・
 
 
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1970年に起こった事件として有名なのは日本で初めて「ハイジャック」という言葉が使われた
「よど号ハイジャック事件」でした
 
当時若者は時の体制に反発して「革命」を掲げて学生運動などが盛んでした
その中心的グループが「赤軍派」と言われたグループで東京発JALの飛行機「よど号」を乗っ取り
共産主義思想を受け入れてくれそうな北朝鮮を目指します
 
政府は北朝鮮だと嘘をついて韓国で犯人を取り押さえようとしましたが嘘がばれて失敗
赤軍派は北朝鮮への亡命に成功します
 
犯人たちは何十年も朝鮮で暮らし結婚して子供も出来たのだが理想と現実とは違うと思っても
帰国すれば長い刑務所生活が待っているジレンマで晩年は苦しんだようだ
何人かは郷愁の念に勝てず逮捕覚悟で帰国して服役した者もいる
 
よど号ハイジャック事件は羽田での発生から福岡を飛び立つまでの一部始終を
TVが生中継で何時間も移していた初めてのケースでもあった
 
と、言う事だが当時小学校2年生だった僕は事件の内容はよく理解できなかった 笑!
 
 
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そんな暗い事件もありましたが日本では空前のボウリングブームが起きます
 
ボウリングブームの火付け役になったのは岩上太郎、などのプロポウラーでTV放送が始まり
女子プロの須田佳代子、中山律子などがTVで放送され人気を博した事が挙げられます
 
「♪律子さん 律子さん 中山律子さん・・・」ってCMとTVで初のパーフェクトを達成した時から
一気にブームになり石井利恵、並木恵美子、井上和子など美人?ポウラーの
出現でさらにヒートアップしました
 
当時ボウリング場は4時間待ちは当たり前で多くの会社で月例会が行われました
 
とは言え僕は前記したように家族で・・・って家庭だはなかったので始めてボウリングをプレーしたのは
確かブームも去った1976年(昭和51年)の中1頃に友人とだったように記憶しています
 
ま、1980年代に起きたゴルフブームスキーブームと似たようなもんですよね
 
日本におけるゴルフブームは尾崎3兄弟青木功さん、中島常幸さん・・・
女子では岡本綾子さんなどの大活躍がゴルフブームに火を点けた
 
スキーブームは原田知世さん主演の映画「私をスキーに連れてって」に端を発し
広瀬香美さんの「ロマンスの神様」「ゲレンデがとけるほど恋したい」
ユーミン「恋人がサンタクロース 」あたりがスキー人気に拍車をかけたと思います
 
 
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1970年にはWomen's Liberation の略で女性自身の手による女性開放運動を意味する
「ウーマンリブ」と言う言葉や、学生闘争を卒業した若者が燃え尽き症候群に陥り
「シラける」という言葉や、無気力、無関心、無責任の言葉尻を取って「三無主義」という言葉も生まれた
 
そんな世相に登場し大ヒットした車にトヨタ セリカがあった
1970年に開催された第17回東京モーターショーで注目を浴びたトヨタ セリカ1600GT
 
全長はわずか4165mm、ホイール径13インチの小さな5ナンバーなのですが
発売当時は「未来から来たクルマ」ともキャッチフレーズがつけられるほど斬新なクルマでした
 
今見ても普通に「カッコいいなあ」と思える形をしっかりと実現しています
今のクルマにはない、勢いみたいなものも感じますよね
 
僕の族時代は日産車の全盛期でしたがセリカ・・・
てか、トヨタ車は族より走り屋の人に人気がありましたね!
 
 
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映画界に目をやると興行的にも評価的にも世界的に大成功をおさめた「猿の惑星」の続編で
猿族と地下に住むミュータント人類の闘いを描いた「続 猿の惑星」が興行成績1位になってる
 
しかし僕的には映画「猿の惑星」のTV放映が37.1%高視聴率を得たことに端を発した企画で
1974年円谷プロが制作したSFテレビドラマ「猿の軍団」の方が記憶に残ってる
 
「猿に支配された世界に迷い込んだ人間の逃避行」という同映画の内容を踏襲した作品でしたね 笑!
 
 
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さて、書いてる僕も楽しいし懐かしさもあるテレビアニメも名作が1970年もどんどん登場します
 
先ずは不朽の名作である世代を超えて読み継がれる高森朝夫(梶原一騎)とちばてつや原作の
ボクシングロマンの「あしたのジョー」
 
放浪の孤児・矢吹丈はその秘めたボクサーとしての才能を
拳闘界を追われた中年男・丹下段平に見出される
 
だが丈は心身の自立とボクサーとしての精進を願う段平の情熱を裏切って罪を犯し少年院送りになった
やがてその少年院で彼、己の人生を変える男・力石徹と出会うことになる・・・
 
まあ説明の必要はないですよね!
 
 
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スポーツを題材にしたスポ根アニメは1968年放送開始の野球漫画「巨人の星」を皮切りに
1969年にはプロレスの「タイガーマスク」、女子バレーの「アタックNo1」と続き1970年には
ボクシングの「あしたのジョー」、そしてついにはキックボクシングの「キックの鬼」に至ります 笑!
 
キックの鬼は1960年代終盤から日本中に大ブームを巻き起こしたキックボクシングの立て役者だった
実在の人物・沢村忠選手の戦歴を描く「実録もの格闘技アニメ」だった
 
必殺技の「♪い~まだ出すんだ~ 真空飛び膝蹴り~!」は僕達の間でもブームになった
 
しかし僕も思春期の頃には沢山喧嘩を見たり体験したりもしましたが
真空飛び膝蹴りをキメタ奴は一度も見た事ありません 笑!
 
 
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癒し系?のテレビアニメで1970年に思い出深いのは昆虫を擬人化し多様な「人間」ドラマを描いた
タツノコプロオリジナル作品の第一回目のアニメ化「昆虫物語 みなしごハッチ」でしょうな~
 
天敵スズメバチの急襲を受けて壊滅したミツバチの国の女王の産んだ卵の一つは
流転の末にシマコハナバチの子供として育てられる
 
やがて自分の本当の素性を察したミツバチの子ハッチは育ての母と別れ本当の母親を探す旅に出た
だがそんなハッチを待つのは複雑な生態系の中でそれぞれの命を紡ぐ昆虫たちのさまざまな現実だった・・・
 
まあ後に放送されるカルピス漫画劇場の「母を訪ねて三千里」の昆虫版ってとこか?
てか、現代において「みなしご」って言葉自体がマズイんじゃないのかな?
 
 
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「♪ひとつ 人より力もち~ ふたつ ふるさとあとにして~ ・・・」
と、主題歌を演歌歌手「天童よしみ」さんが歌ってる事が有名な「いなかっぺ大将」
 
青森県の山奥で柔道の稽古に励む風大佐ェ門は明るい性格の頑張り屋で赤いフンドシがトレードマーク
オネショと音楽が鳴ると我を忘れて踊り出してしまう二つの癖があった
 
亡き父の友人である柔道家・大垣から東京での修業を勧められた大ちゃんは
幼なじみの花ちゃんと別れて上京し新たな生活を始める・・・
 
ニャンコ大先生から習得した「キャット空中三回転」は僕の周りでも人気になったし
僕は中学時代に柔道を習いに行っていた経験もあるが
未だかつて柔道家がキャット空中三回転をしてるのを見た事がない 笑!
 
 
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戦前から描かれた田河水泡の大人気動物ミリタリー漫画を1970年代風に
アレンジしてアニメ化した「のらくろ」も懐かしい
 
のらくろこと野良犬の黒吉は犬ばかりの猛犬連隊の二等兵
 
宿敵である山猿軍との戦闘中でも明るさを失わないのは立派だがそのマイペースさのため
ブル連隊長やモール中隊長はしゅっちゅう機嫌を悪くする
 
そんなのらくろの憧れは優しくて可愛い従軍看護婦のミコちゃん
彼女に喜んでもらうため今日ものらくろは頑張るぞ・・・
 
当時友達を「○○二等兵!」ってあだ名するのが流行りましたね! 笑!
 
 
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さて、日本歌謡界に目をやると1970年は調べてみると個人的にあまり馴染みのある曲が少ない
ヒデとロザンナ「愛は傷つきやすく」、菅原洋一さんの「今日でお別れ」くらいか・・・
 
その中で僕が押したいのは由紀さおりさんの「手紙」と迷ったのだが
宇多田ヒカルさんのである藤圭子さんの「圭子の夢は夜ひらく」を押そうと思う
 
まあ当時小2の僕には理解するのは難しい曲だったがよく覚えている
 
藤さんはクールファイブのボーカル前川清さんとこの後結婚されたんですよね
子供の目から見て暗いイメージの2人でしたが結局は離婚した 笑!
 
まああのまま離婚していなかったら宇多田ヒカルさんはこの世に存在してないという事です 爆!
 
 
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テレビアニメ「巨人の星」に影響された訳ではありませんが(笑)この頃僕も
グローブとかバットを買ってもらって遊びで野球らしき事を始めた
 
郷土の球団カープに興味を持ち始めたのもこの頃だった
この頃カープはセ・リーグのお荷物球団と言われるほど弱かった
まだ赤ヘルになる前の紺色の帽子に「H」マークの時代だった
 
いつの時代だったかハッキリ覚えていませんが紺色時代の助っ人外国人に
ヒックスという選手がいてライト前ヒットを打ったのにライトゴロでアウトになった事を今でも覚えている
 
実況してたアナウンサーが「ヒックス、足が遅い!」って絶叫したのも覚えている 笑!
 
と、言う事ですが今日はこれまで!次回はいよいよシリーズ最後になる
1971年(昭和46年)亥年をやります、乞うご期待! ジャンジャン!!

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