1968年(昭和43年) のぼりざる
さて、昨今毎週火曜日の週初めの恒例記事になった年賀切手シリーズですが
今回は記事の関係で水曜日になりましたが1968年(昭和43年)申年の年賀切手と共に
当時の世相を振り返ってみたいと思います
申年生まれの人は意志が強く個性的、頭が賢くなんでも器用にこなします
好奇心旺盛で素早く行動する行動的な面もあり何をしても凄く早くものにします
明るく人懐っこいので人気者になりやすくどんな場面でも臆することなく挑戦するので適応能力は高いです
賢いので人にあまり見せたりはしませんが本当は目立ちたがり屋の派手好きです
人にほめられるのが大好きです
頭が賢いので要領がいいのでお調子者だという風に人から思われやすいです
と、言う事ですがここからは1968年の大ヒット曲である
いしだあゆみさんの「ブル・ーライト・ヨコハマ」を聴きながらご覧ください!
ブルー・ライト・ヨコハマ/いしだあゆみ 1968
1968年に起きた事件に、あの有名な「3億円強盗事件」があります
1968年12月10日午前9時20分頃、東芝府中工場従業員のボーナスのための現金約3億円を積んだ
日本信託銀行の現金輸送車が府中刑務所北側の路上で後を追ってきた白バイ警官に止められた
白バイ警官は爆発物らしき物を発見したと言って行員たちが車外へ出て避難すると
運転席に乗りこみそのまま走り去った
このようにして3億円はまんまと奪われてしまったのである
その後75年12月に時効成立し戦後最大のミステリーとされる
この事件は色んな憶測が飛び交いドラマや映画にもなった
モンタージュ写真は誰もが一度は見た事あるでしょうが真犯人って今でも生きているのか?
もし生きてれば手記を執筆したら印税は3億円くらいは入るんじゃないか? 笑!
前年の1967年にはイギリス出身のツイッギーの来日もありモッズファッションが流行ったと思ったら
翌年には自然に帰れと称し金を使わずに楽しみ月並な生活を避け
時には既成の社会秩序に反逆して大衆行動を取るヒッピーが大流行
その流れは日本にも影響を及ぼし男性の長髪が流行り彼らは「フーテン族」と呼ばれるようになる
フーテン族に端を発したシンナー遊びが中高生にも大流行になります
路上でもシンナーを吸引する姿が頻繁に見られ病院に運び込まれ死者も出ます
ヒッピーの誕生は若者を中心に爆発的な人気を誇ったロックバンド
ビートルズによるインド巡礼やマリファナやLSDを使用した精神解放等により
全米へとそのムーブメントは広まったとされています
ビートルズに端を発したヒッピーはサイケデリックファッションをも生み出します
サイケデリックとはLSDなどの幻覚剤によって生じる幻覚や陶酔状態を想起させるさまの事で
そのような原色を駆使した美術やロック音楽、ファッションが流行になりました
と、そんな当時の大人の流行は5歳の僕にはまったく別世界の事でしたが(笑)
人生ゲームの事はよく覚えています
人生ゲームは1960年にアメリカで開発されたゲームなんだそうで
日本ではタカラトミーが商品化し大ヒットしました
“~人生、山あり谷あり~”のコピーで始まるテレビコマーシャルと共に
人生ゲームが日本で発売されたのは1968年(昭和43年)の事でした
盤ゲームといえばサイコロを振っていかに早くゴールを目指すかという
いわゆる”すごろく”式のゲームしか存在しなかった当時
”人生”というテーマ、自分を表すピンを刺した自動車型のコマ、ボード上の立体的な山や建物
ドル札を模したおもちゃの紙幣のやり取り、そしてなによりサイコロの代わりに回すルーレットは
画期的なものとして受け入れられ「人生ゲーム」は子供から大人まで夢中になる大ヒット商品となりました
当時から約半世紀がたった現代ではゲームと言えばスマホなどに代表されるデジタルゲームです
僕はゲームの類はまったくやらないから詳しい事はわかりませんが
大の大人がスマホでゲームに熱中してる姿を見るとちょっと違和感を感じますがね~ 笑!
1968年には「一人前入りで、お湯で温めるだけで食べられるカレー、誰でも失敗しないカレー」
というコンセプトの元にわが国初のレトルト食品として大塚食品からボンカレーが発売されました
ボンカレーと言えば個人的には笑福亭仁鶴さんが子連れ狼のパロディーで
「3分間待つのだぞ!」ってやってたCMが印象に残ってますな~ 笑!
小学校の野外授業で広の小滝で飯盒炊飯やってボンカレー食べた事も覚えてます
ま、僕は子供の頃に人参と玉ねぎが嫌いだったからボンカレーも好きでもなかったんですがね 笑!
ちなみに1968年には日清食品の「出前一丁」やサンヨー食品の「サッポロ一番みそラーメン」
明治製菓の「カール」も発売になっています
テレビの普及と共に続々とテレビアニメも制作・放送され始めます
昨今お亡くなりになった妖怪漫画の巨匠・水木しげる先生の代表作の
第一回目のアニメ化として「ゲゲゲの鬼太郎」が放送開始
「♪ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ~ みんなでうたおうゲゲゲのゲ・・・」
って主題歌を知らない人はいないでしょうな~
あの名作、梶原一騎先生の日本出版界に劇画というジャンルを確立させた名作野球漫画
スポ根の元祖「巨人の星」が放送開始されたのも1968年だった
禁断の魔球・魔送球を使ったがために読売巨人軍を追われた星一徹
彼は息子の飛雄馬に夢を託し巨人軍の投手を目指す人生を歩ませる
幾度も一徹に反発し高校野球で複数のライバルと闘いながらも
ついに巨人軍のマウンドに立った飛雄馬・・・
大リーグ養成ギブスや大リーグボールも印象深かったが何と言っても印象的なのは
一徹がちゃぶ台をひっくり返すシーンですよね 笑!
でも、この場面はシリーズを通して本編では確か一度しかなかったはずです
現代ではウチもそうですが父親の威厳は失われ邪魔者扱いされる 笑!
星一徹こそ本来の日本の家庭の父親のあるべき姿だと思いますぞ! 爆!
「♪やみにか~くれて生きる おれたちゃよ~かい人間なのさ・・・」
って主題歌で人気を博した無国籍的な雰囲気と異形の主人公たちの独特の哀愁が人気を集め
幾度も再放送された怪奇アニメの名作「妖怪人間ベム」も1968年に放送開始された
どこかの研究所で生まれた怪異な3匹の生物
彼らベム・ベラ・ベロは気高い正義の心を宿しながらも決して人間ではない妖怪人間だった
善行を重ねればいつか本当の人間になれるという信念から世の中の悪人や魔性の存在と戦い
人々を助ける旅路を歩み行く彼らだが、そんな3人に人々は必ずしも理解の目を向けなかった・・・
当時僕は子供心に怖い漫画だと思ってましたが今大人になって考えてみたら内容がとっても深い
現代の社会問題になってる「いじめ問題」にも通ずるんじゃないかと思います
当時ブスな女をよく”ベラ”と表現してましたが今では深く反省しております 笑!
さて、映画界に目を向けると洋画ではダスティン・ホフマン、キャサリン・ロス、アン・バンクロフトなどが
出演した「卒業」が興行収入1位に輝いています
大学を卒業し前途洋々のベンジャミン、彼は祝賀パーティの席で誘惑をかけてきた
中年女性ロビンソン夫人と逢瀬を重ねる事になる
だが彼女の娘エレインが現れた事でその関係は崩れていく
親の勧めで不承不承エレインと付き合うことになるベンジャミンは彼女に惹かれていったのだ
一方そんな若い2人に嫉妬するロビンソン夫人
やがて彼女とベンジャミンの関係がエレインの知るところとなるのだが……
ダスティン・ホフマンが乗ってたアルファロメオ・スパイダー・ヴェローチェがカッコ良かったですね!
ちなみに1968年の洋画興行収入2位は「猿の惑星」でした
歌謡界に目をやると1968年は後世に残るヒット曲が目白押しです
黛ジュンさんの「天使の誘惑」、水前寺清子さんの「三百六十五歩のマーチ」
タイガースの「花の首飾り」、青江三奈さんの「伊勢佐木町ブルース」
都はるみさんの「好きになった人」、キング・トーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」
しかし個人的にはいしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」を押したい
昭和歌謡を代表する曲だと思いますね!
1968年に5歳になる僕は長浜の專徳寺が母体になってた專徳保育園の年長さんになります
写真は長浜の入江神社で行われた七五三ですね
この頃の思い出と言えば毎日毎日飽きもせず泥団子を作ってた事ですかね~
專徳保育園は仏教系の園でしたから弘法大師や親鸞聖人の事を習いましたね
お昼ご飯や3時のオヤツの時、帰りの歌を毎日歌ってた事も覚えています
「♪たのしいおひるになりました~ みんな なかよくおててをあわせ・・・」
「♪とけいがうたうよボンボンボン おいしいオヤツいただきましょう・・・」
「♪きょうもたのしくすみました なかよしこよしで かえりましょう・・・」
いや~ 48年経った今でも全部覚えてますからね~ やはり三つ子の魂百までって事ですね!
と、言う事で今日はこれまで!次回は1969年(昭和44年)酉年やります!
乞うご期待! ジャンジャン!!