1964年(昭和39年) 竜神と辰
さて、今回で5回目となる年賀切手シリーズですが
今回は1964年(昭和39年)辰年を振り返ってみたいと思います
辰年生まれの性格は非常にプライドが高く負けず嫌いでリダーシップを貫こうとするタイプです
自己顕示欲が強くマイペースに行動します
人を見下したり自画自賛して周囲の反感を買うことがあります
また何事も思い通りにしならないと怒り出すようなわがままな面を持っています
自分の考えに反対されると敵対心を強く出します
先見の明があり人より先を行かないと気がすまない人が多いです
愛想が悪くぶっきらぼうなところがあるので仲間には恵まれません
理想主義のため不運なことが続くと自暴自棄になる面も持っています
辰年生まれの人は知性と行動力を発揮できればその魅力が評価され多くに人に受け入れられます
広い視野を持っているので専門分野で実力を発揮する人も多いです・・・
と、言うのが辰年の人の性格診断ですがウチの大明神様は昭和39年の辰年生まれです
自己顕示欲が強くマイペース、思い通りにならないと怒る・・・
いや~ まさに言い得て妙ですな~ 笑!
と、言う事ですがここからは昭和39年の大ヒット曲である
坂本九さんの「明日があるさ」を聴きながらご覧ください!
明日があるさ/坂本九 1964
1964年と言えば2012年に公開された映画「ALWAYS 3丁目の夕日 64’」
で、描かれたという事は記憶に新しいですが1964年と言えばやはり東京オリンピックでしょう
1964年の東京オリンピックは1940年大会の開催権を返上した日本及びアジア地域で
初めて開催されたオリンピックで有色人種国家における史上初のオリンピックでもありました
日本の歴史的には第2次世界大戦で敗戦し急速な復活を遂げた日本が
再び国際社会の中心に復帰するシンボル的な意味を持った大会でした
この切手シートは僕の切手コレクションの一部ですが開催国である日本は
金メダル16個、銀メダル5個、銅メダル8個の計29個のメダルを獲得しています
中でも圧倒的な強さで金メダルに輝いた日本女子バレーは東洋の魔女と言われ大人気になり
アニメ「アタックNO1」やテレビドラマ「サインはV」などを生み出しました
さてさて、2020年の東京オリンピックでは東洋の魔女は復活するのか?
巨人軍に入団した王貞治選手はバッターに転向し努力の末に一本足打法を習得し
1964年には当時の日本記録となる55本というシーズン最多本塁打記録を樹立し
ホームラン王に輝いています
この後巨人軍は長嶋茂雄、王貞治、両選手を中心に快進撃を続け
後に今でも伝説と言われるV9を達成する事になるんですよね
そして1966年にはあの名作「巨人の星」が誕生するんですよね
前出の2012年公開の映画「ALWAYS 3丁目の夕日 64’」でも描かれていましたが
1964年にはファッションブランドVANの創設者である石津謙介氏が
アイビー革命を起こしアイビーファッションが大流行し銀座には5月頃から
アイビーファッションに身を包んだ「みゆき族」なる集団が現われました
それまでお洒落をするという概念がなかった日本の若者男子はアイビーファッションに身を包み
VANと書かれた紙袋を小脇に抱え銀座みゆき通りや並木通りにたむろするようになりました
アイビーファッションの流行に大いに貢献したのがファッション雑誌「メンズクラブ」だった
メンクラ紙面上でVANの「くろすとしゆき」さんがコメンテイターとして人気を博した
「街のアイビーリーガース」通称「街アイ」は大人気企画となり
街アイに写真が載る事が当時の若者のステイタスにもなった
しかし、みゆき族も一夏を境に9月から始まる東京オリンピックに向けての風紀取締りとして
築地警察が一斉に補導し始めた為に短期間で姿を消す事になりました
1964年には後にロングセラーになるカルビーの「かっぱえびせん」が発売されています
1964年に登場したかっぱえびせんの初期型パッケージは1981年まで続いています
そうそう、僕が子供の頃のかっぱえびせんは写真左のデザインだった
1972年に発売され、カード欲しさに菓子は捨てられるという社会問題を起こした
仮面ライダースナックがかっぱえびせんだったら僕は菓子は捨てられてないと思う
何たって「やめられない とまらない」ですからね~ 笑!
てか、あの仮面ライダースナックの甘い菓子はいったい何だったのか?
さて、1964年の芸能に目をやると洋画の年間興行収入NO1はエリザベス・テイラー、レックス・ハリソン
等が出演した「クレオパトラ」になっているが残念ながら僕はこの作品は観た事ない
1964年には「007/ゴールドフィンガー」「007/危機一髪」と2本の007シリーズが公開されているが
個人的には年間興行収入NO2になってるオードリー・ヘプバーン主演の「マイ・フェア・レディー」を押したい
ヘプバーン主演によるミュージカル映画の大作であるマイ・フェア・レディーは
ロンドンの下町、夜の巷で花を売っていた少女イライザの所にたまたま通りかかった
ヘンリー・ヒギンズは、彼女の余りにもひどい訛りに対し正しい発声と淑女としての
行儀を身に付けさせると断言する・・・という内容で描かれている
ちなみに1960年に発売されたダットサンのスポーツカーであるフェアレディーのネーミングは
映画「マイ・フェア・レディー」の元になってるミュージカルの題名が語源になったんですよね
日本歌謡界に目をやると坂本九さんの「明日があるさ」「幸せなら手をたたこう」が
年間ランキング1位、3位という事になっている
この時代の坂本九さんはホント、向かうとこ敵なしって感じですな~
その他には青山和子さんの「愛と死をみつめて」、村田英雄さんの「皆の衆」
都はるみさんの「アンコ椿は恋の花」、美空ひばりさんの「柔」等がヒットしています
と、言う事ですが昭和39年の10月22日に1歳になる僕は母に抱かれて
同年の亀山神社祭に行ったようですな~
アルバムにはS、39,10,17と書かれていますが当時の亀山神社祭は
体育の日の10月10日じゃなかったのか?
ま、とうぜん僕はまったく記憶にありませんがね~ 笑!
という事で今日はこれまで!次回は1965年(昭和40年)巳年をやります
乞うご期待! ジャンジャン!!