娘の万凛は第1志望だった広島県立呉宮原高等学校に晴れて合格を果たした
昨日は僕のブログを見て沢山の人から電話やメール、ブログコメント、
FBコメント等でお祝いの言葉をいただいた
お祝いの言葉を下さった皆さん、本当にありがとうございました!!
まあこれで親としても一安心という事には違いないが
実際に学校に入学するのは娘であり僕が学校に行く訳ではない 笑!
しかし親としては自分の娘が通う学校の事は気になる事は確かだ
先日この春に宮原高校を卒業したお客様が来店した
「僕の娘も宮原高校を受験したんですよ・・・」
そんな会話をしたのだが彼女はこう言った
「宮原高校は本当に良い先生が多いですよ・・・」
思春期の女の子の感性は敏感だ
そんな敏感な年頃の女の子が言った「良い先生が多い」と言う言葉に僕は安心感を覚えた
呉宮原高校は僕の時代には呉三津田高校、広高校と共に呉3校と言われ
総合選抜の普通科を要する進学校の一つだった
今は総合選抜制度というのは廃止になったが総合選抜とは主に日本の公立中学校で
実施されていた高校入学試験方式の一つで学校間格差の解消を目的として
居住地や学力などによって合格者を学区内の各校に平均的に振り分ける制度であった
僕等の時代の呉3校は大学に進学する事を目的にした所謂「勉強のできる子」が行く学校だった
だから僕がBe Bopな呉工生だった頃は同じ高校生でも3校は別世界という感じで
縁もなければBe Bopな友達も一人もいなかった
実は僕も中学に入学した頃は呉3校の一つである広高校入学を目指して勉強していた
学習塾にも通い成績もそこそこ良かったから自分でも広高→広大という
親や先生が期待するレールに乗っていた感があった
しかし僕は中学2年になりなぜか道を踏み外し不良への道を邁進し始めた
で、結局僕は呉工業高校に入学し後はドナドナで短い高校生活を終えた 笑!
僕の中学の同級生に宮原高校を卒業して東大に合格した奴がいた
彼とは中学2年の途中まで同じグループの友人としてよく遊んでいたが
当時僕はどう頑張っても彼には勉強では敵わないって思ってた
やはり勉強にも「持って生まれた才能」がある事を僕は彼から悟った
宮原高校と言えば上の2人の息子たちが中学・高校で野球をやってた頃にちょっとした縁があった
もう10数年前の事だが当時宮原高校はH先生という方が野球部の顧問をされており
文武両道を掲げ野球部も甲子園には後1歩届かないがそれなりに高い成績を上げていた
僕はH監督と当時懇意にして頂いており野球談議にも花を咲かせていた
H監督はとても野球に熱い人で人間的にも、先生、監督としても尊敬に値する方だった
H先生は次男を高く評価して下さって学力もそこそこだった次男に
是非宮原高校を受験してほしいと言われてた
しかし宮原高校は公立高校だから野球推薦も特待生制度もない
次男は広陵高校や呉港高校から特待生の話を頂いていた事もあり
合格不確定な宮原高校は残念ながら選択権には入れなかった
結局次男はいろいろ大人の事情に巻き込まれ地元呉の呉港高校に入学した
次男が2年生の時の夏の地区大会で「宮原VS呉港」のカードが地元二河球場で実現した
地元のライバル校同士という事でスタンドも大いに盛り上がった
行き詰る投手戦が展開されたが試合中盤に呉港は
ウチの次男のセンター前タイムリーヒットで虎の子の1点を先制した
最終回に呉港は最大のピンチを迎える
確か1アウト1・2塁だったと思うが宮原のバッターにレフト前に抜けそうな強烈な当たりを打たれた
ショートを守ってた次男は横っ飛びしてライナーを補給
その後の攻撃を抑え呉港高校は1-0で勝利した
試合後宮原高校のH監督は「山下一人にやられた・・・・」って僕に言った
次男が高校野球を引退してからH監督と話す機会があった
「野球に”たら・れば”はないが山下がもしウチに来てたら・・・」
って言って頂いた
僕も今になって”もし”ってのを妄想する時もある
まあ過ぎ去った過去には戻れないのだが・・・ 笑!
呉のタウン誌「KURE:BAN」の3月号は「呉の卒業高校生のデザイン」と題された
呉の各高校を卒業する卒業生の特集が組まれている
呉宮原高校はクラブ活動ではソフトボール部やソフトテニス部、
弓道部、ダンス部が実績を上げてるようだ
残念ながら硬式野球部のH監督はすでに転勤されている
やはり部活動においては顧問の先生、監督の良し悪しは重要な事だ
強い宮原高校野球部の復活も監督次第でしょうな~・・・
てか、大昔は宮原高校出身者にもプロ野球選手がいたんですよ
名古屋金鯱軍で活躍した荒川 正嘉さん、巨人軍の名ショートだった広岡達朗さんの
お兄さんである広岡富夫さんはカープで活躍されました
他に有名人と言えば昭和の人気フォークグループ「かぐや姫」の伊勢正三さんと
「風」ってユニット組んでた大久保一久さんも宮原OBです
仁義なき戦いの原作者であり菅原文太さんが映画で演じられた
初代美能組組長の美能幸三さんも何と宮原高校の御出身だそうですぞ! 笑!
それにしても宮原高校に限らず どこの高校も楽しそうですな~
やはり若いって事は何事にも代えられない武器だと思いますよ
しかし昭和の時代に高校生活を経験した僕は現代の高校生は凄く幼く感じますね
そこは時代性ってのもあるんでしょうが僕は呉工業高校に入学した時の入学式で
3年生を始めて見た時、皆さんオッサンに見えましたからな~ 笑!
工業高校ってのもあって皆さんパーマをかけて作業服や私服で登校してた
当時の3年生は学生服の着用が校則で義務付けされてなかったですからね
春先は革ジャン着てる先輩もいたし夏はアロハシャツ着てた
あまりにも学生として風紀が乱れるという事で一つ上から制服が義務付けられた
まあそれはそれでBe Bopな感じで乱れてたんですがね 笑!
どうやら呉宮原高校は今年の新入生から制服がリニューアルされるらしい
宮原高校と言えば男子は緑色の詰襟、女子は緑色のブレザーだったが
新入生から男子はオーソドックスな黒の詰襟、女子はセーラー服になるようだ
ま、今の時代に昭和のように短ランや中ランにボンタン、女子はくるぶしまで隠れる
ロングスカート履く子もいないでしょうがね 笑!
さてさて、万凛のセーラー服姿が楽しみですな~! 笑! ジャンジャン!!