千光寺の参拝を済ませた僕達は帰る前に一休みという事で
レトロ感漂う尾道の旧商店街にある「あくびカフェー」に立ち寄りました
このカフェは「あなごのねどこ」という宿泊施設が母体になってるようです
なぜ「あなごのねどこ」なのかというと・・・
尾道商店街は京都の町家のような長い建物が連なっていることを
旅人にも地元の人にも知ってもらいたいと昔ながらの造りをそのまま生かして
店舗にしているという事なんですよ
京都の町家は「ウナギの寝床」と言われますが尾道は穴子が名産なので
「あなごのねどこ」と名付けたんでしょうね
「あくびカフェー」の方は昭和初期の小学校を彷彿させるような
木造校舎の教室という趣になっています
もともとここは「新生堂」という眼鏡屋さんだったそうでテナントの状態から床や天井を剝ぎ取って
元々の古い部分をあらわにさせ廃材や古材、古道具とアイデアを駆使して古い木造建築の
小学校を彷彿とさせる内装に仕上げています
新しく作ったのにとても古めかしい何とも不思議な空間になっています
木造校舎といえば、僕の母校の長浜小学校(現広南学園)は僕が入学した
1970年(昭和45年)はまだ木造校舎が残っていた
現在も使われている鉄筋校舎もすでに建っていましたが新入生だった僕達は
1年生の時の1年間だけ木造校舎が教室として割り当てられた
2年生からは鉄筋校舎に入り、古い木造校舎は取り壊された
長浜中学校も今は鉄筋校舎になっていますが僕達は3年間木造校舎だった
小学校時代の木造校舎は幼かった事もあり、あまり記憶に残っていませんが
中学校の今は無き木造校舎はレイアウトも全て覚えている
年に一度廊下や教室の床に油をかけるのだが、それが凄く臭かった事を覚えている
その思い出深い木造校舎は僕等が卒業と同時に鉄筋校舎に建て替えられた
だから今母校に立ち寄ってもあまり懐かしさは感じない
店内にディスプレイされている小物も昭和の小学校時代を彷彿させるようなレトロな物が多く飾られている
↑の黒い表紙の出席簿?も懐かしい 笑!
他にも理科の実験で使ってたようなビーカーやメスシリンダーなんかが飾られている
当日僕達はランチじゃなくカフェだったが「あくびカフェー」のランチは
昭和の小学校の給食の趣みたいだ
女性の店員さんは割烹着を着用してるが僕の時代の給食当番は白衣だったし
給食を作るオバちゃんも割烹着は着ていなかったと思うんですがね~・・・
個人的にはあまり美味そうには見えませんが(笑)このレイアウトは泣かせますな~ 笑!
聞く所によると昨今は給食もご飯が主食の日もあるようですが当時の給食の主食と言えばパンだった
パンとセットになっていたマーガリンやジャム、マーマレードをつけて食べる事が常だった
月に一度揚げパンの日があってその時にはチョコレートマーガリンがセットだった 笑!
牛乳に関しては保育園の頃は脱脂粉乳だったが小学校に入学すると瓶の牛乳になった
いつ頃からかは覚えていないが途中から三角パックの牛乳になった
給食と言えば今でも思い出すのがクジラ肉の竜田揚げだ
竜田揚げの日の給食はテンションが上がったし、なぜかフィンガーチョコレートもセットだった
もう一つはスパゲッティーのミートソースが楽しみだった
今思えばそんなに美味いミートソースでもなかったように思うのだが・・・ 笑!
と、言う事で昭和の時代に木造校舎で学んだ世代の人にはとっても懐かしい空間になっている
機会があったら是非お立ち寄りくださいね!
こうして僕達の尾道ドライブは終わったのであった! ジャンジャン!!