呉を舞台にした映画やドラマの紹介記事を書いた時FBの方に
「古いモノクロ映画ですが嵐を呼ぶ十八人という作品は
呉が舞台になっており当時の呉の映像が沢山出て来ますよ」
って情報をいただいた
で、さっそくTUTAYA宅配レンタルで借りて観てみた
嵐を呼ぶ十八人は僕が生まれた1963年(昭和38年)の松竹配給の青春映画
僕は昭和38年の呉は物心つく前なのでリアルには覚えてないが
劇中に出て来る景色や建物に見覚えがある物も多かった
<キャスト>
早川保・香山美子・松井英二・殿山泰司
浦部粂子・蘆屋雁之助・平尾昌晃・他
<あらすじ>
瀬戸内海に面した呉市の造船所
島崎宗夫はK造船所の下請工場、大和田組の社外工であった
或る日、厚生係長村田から寮の管理をすれば特別給与も出すと言われた
月給の大半を酒と賭博で使い果す彼にしてみれば渡りに舟だった
(解説)
物語の映像は音戸大橋の空撮映像から始まる
音戸大橋は映画公開の2年前の1961年(昭和36年)に開通してる
十八人の入寮者、彼等は大阪で食いつめタコ師の
森山の手を通して流れ込んで来た札つきの連中であった
花札をひく連中、日出男、やすお、みのる、良夫、あきら・・・
町の与太者と喧嘩する連中
こうした十八人との共同生活に手を焼く島崎に暖い目を向けるのは
飲み屋の娘ノブと村田の妹で高校の教師をしている久子だった
(解説)
寮の監視をする島崎と十八人は、まるで戦後の三角兵舎のような寮に住むのだが
映像から判断して寮があったのは宮原地区だと推測できる
やがて、造船所にも夏期手当闘争シーズンが来た
組合員でない彼等社外工の稼ぎ時を労動者の正義窓で
ボイコットを考えた島崎だがタンカーの響きに魅いられ、ストで残業が続いた
(解説)
十八人が女子高生とバレーをするシーンがあるのだが
場所は練兵場(現・市民広場)だと思われる
草原で試合の応援をするブラスバンドの横には「この世界の片隅に」でも
描かれた国立病院(旧・呉海軍病院)の階段がある
懐の暖くなった島崎や彼等は夏祭りの夜、打揃って町に出た
ジャズ喫茶に入ったみのると精一は町の与太者和夫らに殴られ
急を聞いて駈けつけた島崎や日出男に救けられた
が、この騒ぎの間にあきらがノブを暴行し、島崎の怒りは爆発した
あきらは自殺未遂をやり、「わいがやったんや」と嗚咽するのだった
(解説)
当時呉を走っていた市電が登場する
写真の場所はおそらく四つ道路の交差点じゃないかと思う
車両に今もある「石谷衣装店」の看板が確認出来る
ちなみに呉市電は映画公開4年後の1967年(昭和42年)に廃線になる
(解説)
逃げる十八人が走ってるのは「大呉百貨店」の
看板が確認出来るので中通り3丁目辺りか?
(解説)
殴られ川に落とされた、みのると清一を助ける同僚たち
橋は、堺橋か? それとも二河橋か?
広島へ移ったノブを追った島崎
島崎は、ノブの気持を知り結婚する気持になっていた
(解説)
島崎が旧広島市民球場でノブを探すシーンがあるが市民球場はまだ電光掲示板もなく
カープの選手は赤ヘルではなく紺色の帽子を被っている
島崎とノブは呉に戻り教会で結婚式を挙げる
(解説)
結婚式を挙げるチャペルにタクシーで向かう二人
彼らは宮原地区に住んでるはずなのに、なでかタクシーは
この世界の片隅にの、すずさんが住んでた近くの
長の木トンネルの上から出て来る(笑)
二人の結婚式の翌日彼等は再び森山の手で北九州へ旅立つことになった
母親が迎えに来た清一を残し、十七人を乗せた汽車が出発するとき
母の手を振り切った清一は「わいも行くでみんなと」と飛び乗った
(解説)
劇中に登場する3代目呉駅
僕が高校生だった頃はまだこの呉駅だった
(解説)
当時の呉駅前広場
当然まだ、SOGOは建っていない(笑)
(解説)
当時の呉駅構内
時刻表が超懐かしい!
清一を追おうとする母親をとめた島崎は
「ええんや、あれでええんや」
列車は呉市を離れて行った
(解説)
この時代はまだ電車ではなく蒸気機関車だった
黒煙を挙げる蒸気機関車が走っているのは吉浦か天応か・・・
と、いう事だが前記したように僕は、嵐を呼ぶ十八人が公開された年に生まれているので
詳しくわからない所もあるが、懐かしく感じる風景も沢山あった
物語自体はさすがに昭和30年代の邦画と思わせる内容だが(笑)
呉の景色と合わせ十分楽しめる作品だと思います
是非、ご覧になってみてください!
ジャンジャン!!
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