僕が中学生になり思春期を迎えた1976年(昭和51年)頃の
土曜日の夜は大人の領域だった
僕たちは何とかその領域に踏み込もうと精一杯背伸びしていた
8時から放送されてた人気番組、ドリフの全員集合を見終え一旦は自分の部屋に戻る
夜10時前、親が寝室に入ったのを確認すると毛布を持ってテレビがある部屋に行き
テレビの明かりが漏れないように毛布でテレビを覆いイヤホンをセットしてそ~っと電源を入れる
”あの時代”はまだ一般家庭はテレビは一家に一台ってのが普通だった
親が寝静まり、そ~っとその領域に踏み込んだ時の罪悪感と背徳感
時計の針が10時を指すと画面に「WEEK ENDER」の番組タイトルが映し出され
番組提供の紹介テロップに合わせこんな曲が流れてきた
Bochawa 1974 Chase
チェイスはジャズの名門ウディ・ハーマン楽団出身のトランぺッター、ビル・チェイスを
中心に1970年に結成された9人組のブラス・ロックのバンド
グループは3枚のオリジナル・アルバム残したが1974年にリーダーの
ビル・チェイスを含むメンバー4人が飛行機の墜落事故で亡くなりバンドは消滅した
メンバーを大幅に入れ替えて再出発した3rdアルバムに収録されているのが
ウイークエンダーの冒頭で使われた「ボッチャワ」のアレンジバージョンだった
「テレビ三面記事ウイークエンダー」は日テレ系で1975年(昭和50年)から
放送された夜のワイドナショー的番組だった
特徴としては全国ニュースで伝えられることがない男性が好むような
ちょっとエロいB級記事をレポーターがフィリップを使って面白おかしくレポートする
特に番組中盤に放送される10分程度の再現フィルムには
エロい映像が出るという事もありドキドキしながら観たもんです(笑)
まあエロいと言っても現代の視点で言えば全然大した事ないのだが
当時は常に視聴率30パーセントを超える人気番組だった
前記したチェイスのボッチャワが流れる番組提供が終わると
OPテロップの画面に合わせウイークエンダーのテーマが流れてきた
Rhapsody in White 1974 Barry Eugene White Love Unlimited Orchestra
アメリカの男性シンガーソングライターで音楽プロデューサーであり
ラブ・アンリミテッド・オーケストラを編成したバリー・ホワイト
そのラブ・アンリミテッド・オーケストラ名義で1974年にリリースされたのが
ウイークエンダーのテーマとも言われる「ラプソディー イン ホワイト」という曲
今聴いても素晴らしい楽曲だと思いますね~
この曲を聴くと大人への第一歩を踏み出した青い時期を思い出します
現代に比べて物には乏しかったけど今の中学生より
何十倍も刺激的な時代でしたね~・・・
ウイークエンダーの司会を務めた加藤芳郎さんも個性的でしたが
各レポーターも個性的な面々が多かったですね
ロンパールームのうつみ宮土理さんや、ドラえもんの大山のぶ代さん
漫才コンビ、やすきよの西川きよしさんに、横山やすしさん
現、桂ざこばの桂朝丸さん、青空はるおさん等が印象深い
各レポーターが事件を解説する時の冒頭に流れる音楽もインパクトがあった
Ironside 1971 Quincy Jones
クインシー・ジョーンズはアメリカ合衆国のジャズ・ミュージシャンであり
音楽プロデューサー、作曲家、編曲家
フランク・シナトラにマイルス・デイヴィスそしてマイケル・ジャクソンの
プロデュースを手掛けた人である
彼の事をよく知らない人でも、かの「We Are The World」の仕掛人として
PVでも指揮者をやっていた人と言ったら何となくわかるんじゃなかろうか
そのクインシー・ジョーンズがアメリカのテレビドラマである「鬼警部アイアンサイド」の
テーマ曲として作られたのがウイークエンダーで使われた「アイアンサイド」なんです
ウイークエンダーのレポーターに抜擢された当時まだ無名だった泉ピン子さん
アフロヘアーに独特の口調はインパクトがあった
後に、あんな大女優になるなんてまったく想像も出来なかった(笑)
と、いう事でウイークエンダーに使われた3つの楽曲の
元歌をご紹介しましたが本当にどれも素晴らしい
当時の番組プロデューサーやスタッフのセンスの良さを感じますね
最後にウイークエンダーOP映像フルバージョンをお届けして
今日はお終いにしようと思います
ジャンジャン!!
ウイークエンダーOP
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